散歩→ウオーキング→街歩き→ひとり歩き  寄稿者 旅女

この一年あまりコロナの嵐吹きすさぶ中で、生活スタイルが大きく揺さぶられ、否応なしに変えられたことはだれもが経験していることであろう。私とて例外ではない。一番の痛手は何と言っても外出が制限されたことである。不要不急と迫られればうなだれる外はない。じっと家にいることは嫌ではないが、人間は動物、動く生き物である。植物にはなれない。そこで、多くの人がそうであるように、私も地域を歩くことにした。

「散歩」とは、私の中の昔からのイメージでは、ぶらりと当てもなく素手で近所を一回りすることだと思っている。だから、かつて一分一秒を気にしながら動き回っていたころは、「散歩する時間などないわ」と、一蹴していた。その思いがあるので、今回歩き始めてこれは「散歩」ではない。そこで「ウオーキング」と名付けた。運動を目的としてひたすら歩くのだから。

歩いているうちに、住んでいる「区内」をくまなく巡ってみることにした。地図を覗いて、東西南北の区の境界地点に立ってみたくなった。徒歩力も付いてきたので、どうやら成し遂げた。達成感は大きく、未踏の山頂に立ったようで快感そのもの。そのうちに「ウオーキング」より日本語がいいと、「街歩き」とした。区内を走る幹線道路や地域名の付いた通りを行ったり来たりした。

私の区の境界線は川である。東は荒川、西は隅田川の間を縦に横にいく筋もの人工川がある。その川べりを歩くことにした。ゼロメートル地帯なので高い堤防が築かれて殺風景な個所もあるが、遊歩道ができ、土手にははるかかなたまで桜樹が植えられている岸もある。最近はもっぱら川べりに行く。水鳥がにぎやかなのだ。いま、すでに河津桜が満開である。もう「街歩き」ではない・・・・。ついに「ひとり歩き」と名付けた。『散歩→ウオーキング→街歩き→ひとり歩き』なのである。ひとりよがりな戯言であるが、今はこれに落ち着いている。

友人知人が、それぞれの仕方で歩いている。寒中でも欠かさずに早朝6時から歩いている友が3人おられる。それも80歳を過ぎた方々である。とてもまねはできない。皆さんそれぞれに知らなかった発見があるらしい。それらに驚いたり喜んだりしたニュースをいただくことがある。私もうれしい。今はリアルに会えないが、100年に一度と言われる大禍の中でも、工夫を凝らして今日一日の生を謳歌し突き進んでおられる。人は弱いようで逞しい一面もあると感心する。

『人はパンだけで生きるのではなく、
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』

2021年02月27日