年の終わりに      寄稿者 ママレード

今年もあと少しだけと思うと様々な感情があふれてくる。

去るクリスマス礼拝の後の祝会、礼拝堂のその席のままこの一年を振り返って全員が証や近況を語った。クリスマスケーキや愛餐会はなかったが、恵の時だった。
ある人は平均寿命を超えてなお元気でいることを感謝し、「高齢化に貢献していきたい」と語った。見わたすとほとんどが高齢者だった。
私は同じ世代の友たちが「手術ができる最後の年齢」として足の手術に踏み切ったことを上げ、この一年手術も入院もせずに教会生活を送れた感謝を述べた。

だがウクライナの問題だけは老いも若きも今なお苦しい思いでいる。
ウクライナの教会に集って讃美歌を歌っている人達に胸がいっぱいになった。私たちとは違う。家族が戦争に駆り出されたり、残酷な被害を受けたりの家族もいる。にもかかわらず彼らは教会に集まって讃美歌を歌っている。
神様の業とはこういうものではないかと思った。「にもかかわらず」の意味をこれほど強く感じたことはない。彼らには集まる場所、教会が供えられていたのだ。そしてみんなが主をたたえ讃美歌を歌った。

今年、親せきで三人が亡くなった。友人も亡くなった。
そのような年だったが私は元気で年の瀬を迎えている。
毎年千両の実を庭から切ってきて正月用に飾っていたが、今年はみな鳥のえさになってしまった。代わりに赤い冬薔薇を切ってきた。どういうわけか四季咲きのこの薔薇は一年間よく花を咲かせてくれた。
神様有難う。来年も健康をお与えください。

2022年12月31日