「時」を思う    寄稿者 ルピナス 

同じ世代の人ばかり八人。
陽だまりの明るい部屋で年の終わりを語り合う。
「今日は何日だっけ」
「それを聞くようになったら年ってことよ」

すみれちゃんは小さい時からよく知っている。クリスマス・ページェントで天使になって白いガウンを着ていた。幼稚園から小学生になって、幼児から児童に成長した。祖父母が教会員だ。
「もう二年生ぐらいになったかしら」
「いえ、今は五年生よ」
時は止まることがない。すみれちゃんは私の知らないところで十歳を超えていた。

コヘレトは何事も時があるという。時を定めるのは神様だ。人生の初めと終わりは、どんな人も自分で選ぶことも決めることもできない。
今年も多くの誕生があった。会のお仲間からお孫ちゃん誕生との知らせ、どんなにうれしいことだろう。会ったこともない、身内でもないのに晴れがましい思い。
亡くなった友もいる。あの笑顔が、語り合った頃が懐かしい。皆若かった。
でも、私たちは「時」が何であるか知っている。時を通して現実に生き、神様につながっていることを実感する。

もうすぐクリスマス。元気な人にも弱っている人にも、平和な地にも戦争で苦しむ地にも、クリスマスはひとしく来る。

2022年12月18日