ブックサーフィン    寄稿者 草枕

私の昨今の読書は雑読になってしまった。少し前までは一人の作家を追いかけて全集物までくまなく読み漁ったが最近はそのエネルギーがない。再読でもいいのだが情熱が足りない。しかし時々足が心が図書館へ向く。ブックサーファーである。

こんなことを始めた。新刊コーナーへ直行するのである。隣の推薦図書の棚も見る。興味をそそられる本に出合うと、それを借りてくることにしている。ジャンルは問わない。今までの固執を捨てることにした。さらに、ハードカバーの分厚い本は避けることにした。本の重さに負けてしまったのだ。まず借りてくる道中の重さに耐えられない。家で開いたり閉じたり置いたりするのもこたえる。そこで文庫本というわけである。

今日は新刊コーナーではあいにくよい出会いはなかった。しかし手ぶらで図書館を出ていくのはお粗末である。そこで文庫のエリヤに立ち寄った。古びた本は避ける。ブックサーフィンである。読んだことのない作家に目が留まった。もちろん有名作家で、私が読まないだけなのだ。タイトルで選んでしまった。2冊借りることにした。

自伝的なエッセー集を開くと、彼女は我が娘たちと同年代。プロテスタントの教会の幼稚園に通ったとあって、我が娘たちのような親近感がわいた。しかしクリスチャンではない。ちょっと残念だが、高校生まで毎日礼拝、聖書の時間まである教育を受けていたそうだ。

本との出会いは楽しい。不思議に満ちている。多分2冊を返したらまた彼女の本を借りてくることになるだろう。当分おつきあいすることになるだろう。新しい友人が出来たようでうれしい。

今年は何人もの親しい友を天に送った。やがて天で再会できるのは決まっているけれ、この地上ではもう会えない。何としても寂しい。友が減っていく。年賀状のやり取りさえままならない。寒々とした思いになる。友は一朝一夕にはできない。友情は長い歳月の賜物である。もちろん思い出は消えないが、現実に会えないのはもどかしくむなしい。

本との出会いは新しく友ができるのと似ている。友を作ると言うべきだろうか。作者との出会い、小説なら作中人物との出会いは新鮮で楽しい。ぐんぐん近づいて行ける。文字を通してだが、その人物たちの心にも思想にも入っていける。一心同体のようにさえなれる。次元は違うが人間関係の構築と言える。付き合い方次第であるが、深く濃い間柄になれる。これは窮余の策の代替品ではないと思っている。

地上の友も減っていき、さらにコロナで友とも会えず、切なさの募る昨今であるが、ブックサーフィンを楽しんで、また一つ未知のエリヤを広げていきたい。

2022年11月30日