近くに小さな公園があって、お花見するのが春の大きな楽しみの一つだった。朝に夕にお使いの途中にもわざわざ寄り道して短い花の命をいとおしんできた。先日、その桜樹に札が下がっていた。5本の樹に。「この木は倒木の危険があるので伐採します」とあった。
思わず「えええ!!!???」と声が出るほど驚いた。ショックは大きく、胸の奥から悲しみがこみ上げた。通りの向こうからも楽しめた絶景だった。それが5本も無くなってしまうのだ。
確かに樹の肌は真っ黒で生気はなかった。倒れたらそれこそ事故が起きないとは言えない。管理者としては当然のことなのだろう。それにしても・・・・悲しいとしか言えない。
しばらくして行ってみると、無惨にもすっかり伐採されていて、地面すれすれに肌がむき出しなっていた。しばらくたたずんで、見つめてしまった。自分の歴史の一部が終わったような深い喪失感に襲われた。このあと、新しい桜の木が植えられたとしても、空いっぱいに枝を広げて花を咲かせるまでに相当の年月がかかるだろう。もちろん私は観られない。花の命も人の命もはかないものなのだ。
聖書の言葉が響いてくる。
『今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ神はこのように装ってくださるのなら』
『草はしおれ、花は散る。しかし私たちの神の言葉は永遠に立つ』
ところで、根はそのままのようである。このあとどうするのだろう。根まで掘り起こすのだろうか。続き物語を見守りたい。