親友の苦闘苦悩  寄稿者  銀鈴

私の年代になるとさすがに親たちの介護で苦闘している人はいない。自分自身が介護される立場になってきている。ところが、配偶者の介護のために戦っている人は多い。その上にきょうだいのケアーが起きてくる。

我が親友は最近厳しさを増してきたご主人のケアーとご実家に一人暮らしをしている姉上のケアーが重なってきた。姉上は昔気質の考えが強く公的支援を強く拒否する。家に介護者を入れない、デイサービスも断固として受け入れない。親友は自宅から実家まで通ってお世話してきたが、とうとう夜も一人にしておけなくなり、自分の家を閉めてご主人共々実家に泊まり込んでいる。二重生活である。

ところが次第にご主人も目が離せなくなった。奇異行動が目立つようになったという。危険が付いて回る。月に何度が幾種類もの病院に同行する。その間の姉上のケアーは親友の娘さんに仕事を休んできてもらっている。

コロナが下火になったので声を掛けてようやく会うことができた。少しでも現場から離れて気分転換してもらいたいと願ったのだ。親友はいそいそとやってきた。好物の天ぷらそばを楽しみ、チョコレートケーキに目を細めた。生来、物事にこだわらない懐の深い人である。その上、私などにはまねのできない忍耐強さと優しさを備えている。だからこそこんな悪状況に耐えられるのだろう。話をしても事実を淡々と語るだけで、愚痴めいたことは出てこない。悪口もないのだ。昔らかそういう人だった。その姿勢から多くを教えられるのだ。

しかし、しばらく会わないうちに持ち前のふっくらしたお顔に老いの弱さが滲み、一回り小さくなったようにお見受けした。ふと胸が詰まった。私にできることは祈ることだけ。今まで以上に主の最善を祈ろうと決意した。

2022年10月27日