コロナ禍を乗りこえて  寄稿者  付箋

リニューアルオープン、新装開店とはちまたでおなじみのフレーズだが、我が教会にも応用版が誕生した。コロナ禍でクローズしてきた活動のいくつかが再開しているが、昨日は「成人科クラス」が再スタートした。

と言っても、以前のままでの蓋開けではない。なんとZOOMを使っての「オンライン成人科」なのである。時間も礼拝後皆さんが帰宅してホッとしたころの午後3時から4時とした。教会は今だ午前中は2部制である。かつての成人科の時間は第一礼拝である。このスタイルはしばらく続くだろう。しかし「成人科」再開の要望の声はあちらこちらから上がっていた。それに気づいた新任の若い牧師が立ち上がってくれてZOOMの環境を整えた。

「成人科」創設以来、26年間、係わってきた私であるが、アナログ人種である。どうにもならない。リアルでできる時を待つしかない、だが、その時はクラスのリーダーとして果たしてご奉仕できるだろうかと、悲壮感も無きにしも非ずであった。高齢だから強い執着はなく、無心で、御心にお委ねしますと言いきれた。

「成人科」参加のメンバーはITの苦手な方も多い。持っているのはスマホだけ。はたしてZOOMが使いこなせるか、密かに心配した。若い牧師は操作の苦手な方々には付きっきりでアドバイスして回った。

テキストもでき、いよいよオープンになった。あらかじめ新しく取得したURLが教会Lineを通じて配信され、30分前から入室できるようにした。ちらほらと参加者のお顔が見え始めたが、声の聞こえない方、せっかくのお顔が見えない方など小さな操作不足があり、一人一人にケアーが必要だった。それらを修正しながらも、3時きっかりに開会宣言が出来た。

画面に見える方々は、今朝、礼拝でお会いしたばかりなのに、まるで遠方の友と久々に再会したような新鮮な感動で胸が熱くなった。それぞれのロケットで月面に降り立ち、ハグし合っているような気がした。マスクを外したお顔に接したこともよかった。やはりマスクは鬱陶しい。

「成人科」クローズの間の苦楽を分かち合って、あっという間に一時間が過ぎた。一人で悶々としていた心情を、特に、信仰生活のことや霊的な戦いや遭遇した試練を、気の置けない友の前で声を出して話せたことは大きな収穫であった。交わりとはこういうことを指すのだろう。主にあってこその豊かな交わりである。教会の大事な一面である。

さあ、次回からは本格的に聖書の学びに入る。当面月一回、Z00Mでとしている。手に障害のある初老の方が、いの一番に画面に入ってこられたが何よりもうれしかった。コロナはとんでもない惨禍をまき散らしているが、神様は知恵を与え、新しい生き方を示しておられる。その知恵と導きを探して、災いを乗り越えていきたいものである。

『主を待ち望む者は新しく力を得、
鷲のように、翼を広げて上ることができる。』
イザヤ40章31節

2022年10月17日