またも親友が逝く  寄稿者  エルピス

彼とはもう40年以上、所属する団体でご一緒した。ちょうど私の10歳上。出会ったころは老年に見えたが、昨今は同じ高齢者として一括りの仲間になった。

10歳も上なのに生活の仕方、志への向かい方に少しの乱れもなく、それこそ10年一日のごとく急がず遅れず、時計の針のように正確に人生の時を刻み続けた。

「あかし文章」をたゆまず書き続け、人物伝、評論の作品を編み、時に詩を創り、俳句を吟じ、短歌を詠んだ。創世記から黙示録までたくさんの資料を基に講解し、それらすべてをペーパーにして仲間たちに配布してくださった。近年は会合で会うたびに手渡され、楽しみだった。コロナで会えなくなってからは郵送で送られてきた。どんな時も研究執筆を継続された。

旅の人でもあった。毎年決まったように同じ時期に京都奈良へ向かった。カメラ提げての一人旅、宿も決まっていたと聞いた。必ず小さなお土産をくださった。

私たちの会合のほかに月一回へ都心、銀座へ出かけた。神田の古書街を歩き、銀座は教文館でキリスト教の本を買い、老舗で洋食を楽しんだ。小さな一人旅と伺った。初老の頃、奥様を喪い、乗り越えるのがきつかったようにお見受けしたが、立ち直って一人老いの坂を上って行かれた。

いつも電子辞書を携帯していて、作品の小さな誤記も辞書を見せながら教えてくださった。虎屋の羊羹もゴディバのチョコも好物だった。ある時、転んだと言って杖姿で現れた。苦笑気味であった。その次は杖はなく、胸を張っておられた。

コロナ禍で、組織のリアルな活動は休止が続けた。その間の、お別れだった。92歳。歳に不足はないが私たちの喪失感は大きい。しかし彼の見せてくれた「老いの生き方」は私の中にすでに大きく生きている。崩れそうになったとき、最適なカンフル剤になってくれるだろう。

今ごろ彼はひょっこりイエス様のかたわらにすわって、微笑みあっているだろう。だれよりもイエス様が大好きだった彼の愛を、主は喜んでおられるに違いない。

『私にとって、神のみそば近くにいることが幸せなのです』
詩篇73篇28節

2022年10月14日