せつない9月は去りぬ    寄稿者  なぎさ

真夏8月と待望される秋10月にはさまれて、9月はせつない月だった。有名、無名の人たちの死や葬儀が重なった。

月末30日の早朝に長年施設で暮らした100歳の教友が静かに天国への階段を上った。天涯孤独の彼女の遺体は教会に運ばれ、諸般の事情からその日のうちに納棺、葬儀が行われた。
私はそのどちらにも列席した。急なことなので教会近くの会員数名が駆け付けただけだったが、皆、半世紀以上の年月、故人の肉親同様に、いやそれ以上に深く係わった者たちだった。

手際よく用意されたプログラムに則って、故人の愛唱讃美歌を歌い、故人を支えた聖書箇所から説教が語られ、全員が思い出を語り合って、平安に満ちた心温まる葬儀になった。

コロナでこの3年ほど施設への訪問もかなわなかったが、後見人の方から時々情報が届けられていた。教会ではいつも「週報」に故人への祈りが乞われていた。それが消えるのはまことに寂しく切ない。しかしホッとする一面もある。故人がイエス様のみそば近くで真の安らぎをいただいているからだ。 

その平安が私をも包んだのか、帰宅してからも心が満ちたりていた。主はせつない9月を最終日に美しく装ってくださった。ほんとうに、主のなさることは時にかなって美しい

2022年10月01日