ロトの救い   寄稿者 青梅

ソドムの町が滅びる記事が聖書のなかにある。
「・・・・。五十人の正しい者のために、その町をお赦しにならないのですか。」(創18章24節)。
ソドムの滅びが神さまのさばきと知ったアブラハムが、ソドムのためにとりなした祈りの言葉である。
アブラハムの祈りをお聞きになった神さまは、ソドムに正しい者が十人いたらさばきを思いとどまることを約束なされた。しかし、残念ながらソドムに十人の正しい者がいなかったのである。そのゆえにソドムは神さまのさばきを受け、滅んでしまった。

「この町にいるあなたの家族をこの場所から連れ出しなさい」(創19章12節)。
ソドムを滅ぼすために遣わされた神さまの御使いがロトに告げた言葉である。
ソドムにはアブラハムの甥のロトが住んでいた。
ロトの家に旅人として招かれていた御使いは、ソドムが滅びることをロトたち家族に告げ、この町から一刻も早く逃げるように命じたのだが、なぜか町から出ることをためらうロトたちであった・・・。しかし、御使いは、そんなロトたちを追い立てるように手をつかんで外に連れ出し、山に逃がしてくださったのである。

「彼がみると、まるでかまどの煙のように、その地から煙が立ち上がっていた。」(創19章29節)。
滅びの翌日アブラハムがソドムの様子を見たときの言葉である。と、同時に正しい者は十人いなかったことを悟ったアブラハムでもあった。
はたして、アブラハムのとりなしは全く無駄だったのだろうか。
否。断じて否である。
神さまがソドムを滅ぼされたとき、神さまはアブラハムのとりなしを覚えておられたと思うからだ。このとりなしゆえに、神さまのあわれみのゆえにロトは救われたと思う、なぜならロト自身になんら救われる理由が見いだせないからだった。
以上が記事の概要である。

ソドムが滅びてから何年経っただろうか。
いま、ヨーロッパ最大のザポリージャ原発でソドムと同じ危機が迫っている。ウクライナ侵攻の戦火を浴びて、原発事故のリスクが高まっているうえに、ロシアもウクライナも、そして世界も互いに牽制し合うばかりで、決定的なリスク回避の道が見えてこないからだ。

はたして、道はないのであろうか。
いいえ、ひとつある。神さまのあわれみにすがるアブラハムのとりなしの祈りだ。
広島や長崎の悲劇をだれよりも知っている日本が、東日本大震災においての福島原発事故の恐ろしさを体験している日本が、この日本の国民が心をひとつにしてウクライナ侵攻の和解を、ザポリージャ原発事故の回避を願い、祈る声がうねりとなって世界に広がるとき、そのうねりこそアブラハムのとりなしの祈りになる。
と、信じてわたしは、いま祈っている。

2022年09月16日