9月の風は矛盾風   寄稿者  草枕

コロナ第7波はおさまっていくのだろうか。新しい株のうわさもないわけではないが、今のところ世界的にも火が消えつつあるのではないか。この3年来のパンデミックが今回限りに終焉すればと願うばかりである。

近しい知人からメールが来た。そろそろ元の活動を再開したらどうですかと。私の自粛にあきれ果てたらしい。というのも、コロナ前は知人の組織に定期的に参加していたが、コロナが始まってからはピタリと扉を閉じてしまったからだ。最初の一年間ほどは、収まったらまた戻ろうと再開の日を待ちどおしく思っていたが、ここまで来てみると、情熱も薄れ、これを契機に外れてもいいと思うようになってしまった。知人は私の心を見破ったのだろう。

一方で、私が力を入れている活動の場がある。責任も負っている。何度か「緊急事態・・・」が発令されたときは涙を呑んでクローズした。その内にオンラインという手段が使えるようになると、それに縋り付いて細々ながら灯を消さないように努力している。それは今も続いている。だから、応答のない仲間たちがもどかしく思えてくる。もうそろそろいいでしょう、扉を開けませんかと催促したくなる。いや、いくつかのツールでノックしている。

真反対のことをしている自分に大きな矛盾がある。身勝手である。苦笑だけで済まされることではない。私は知人の信頼を裏切っているのだ。背信行為だ。遅くならないうちに非礼をお詫びしなければならないだろう。
とはいえ、コロナによるパンデミックは個人個人の生活を大きく揺さぶり変えてしまった。収束しても元に戻るのだろうか。戻せるのだろうか、戻すのだろうか。現役の方々がいちばん大きな影響をうけた。そのご苦労は想像を絶するだろう。元に戻ることを切望しているに違いない。

一方で、仕事や学業などの社会参加から少し外れた状況にいる人たちは、この惨禍を自分に適した形に工夫して、新しいスタイルを作り出している。話の枠が広がりすぎてしまったが、ひとことでまとめれば、アフターコロナの時が来ても、もう戻らないこともある。むしろそのほうが多いのではないかと思う。私個人に限って言えば、コロナ禍でもし続けてきた、その中心を堅持しながらも、あえて戻さないことも多々ある。また、創設したいくつかは、このまま継続していきたいと思う。

コロナ風は多くの矛盾を含んだ強風である。

2022年09月06日