「あなたは、どこにいるのか」    寄稿者 青梅

禁断の実を食べたアダムとイブは、裸の自分たちを知って急に恥ずかしくなったと聖書にある。 人は真実の姿を知った時、特に愚かな真実を知ったとき心を騒がすものだと思った。

心を騒がすと言えばウクライナ侵攻のことがある。
だれもが早く終わって欲しいと願っている、だが一向に終わりそうもない、むしろ、日増しに激化していると思う、また中国とアメリカの関係も気になる、中国の台湾侵攻が現実味を帯びた実情を知るとき、心が騒ぐと言うより「壊れる」が正しいのかもしれない。

そんな時ヨハネ先生から「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」との声が聞こえた。

なるほど、アダムとイブがもともと裸だったように、歴史を見れば、人間も同じようにもともとは、争いと戦いをくり返している愚か者ではないか、何を今更戦争をしているからと言って、心を騒がすことなど必要ないのかもしれない。
むしろ、そんな愚かな者を憐れんでくださり、愛しておられる、神さまに心を向けなさいとヨハネ先生は戒めていると思った。

再び、聖書に目を戻すことにする。
「あなたは、どこにいるのか」と神さまはアダムとイブに呼びかけられた。
裸であることを知って、恥ずかしくて神さまの前から姿を隠したアダムとイブを憐れまれて声をかけてくださったのである。

同じように、神さまは心を騒がしている私たちにも、いま声をかけておられると思った。 その呼びかけに正しく応答する信仰を求めて祈りたいと思う。

2022年08月22日