平和を作る者   寄稿者  草枕

今年も第77回目の終戦記念日を迎えた。各地で戦没者追悼式が挙行された。およそどの記念日も習慣的な恒例行事になってしまう感があるが、この日だけは思いも新たに真剣に向き合いたい。体験のある人もない人も、である。

当時の映像が盛んに放映されるのは幸いなことだ。「平和」、「平和」と叫ぶだけでは力がない。また、特に今年は、今現在、ロシアの侵攻によってウクライナの人たちがこの世の地獄に突き落とされている。この事実が戦争の愚かさをダイレクトに物語っている。戦争反対の生きた証拠である。

物事にはメリットとデメリットの両面があるが、戦争だけはデメリットの裏面だけしかない。仕掛けたほうも犠牲は大きいはずだ、たとえどちらかが勝者になっても、無傷であるはずがない。

解決の手段にどうして武力を選んでしまうのだろうか。そここそが問題の根であろう。それは人間の心に潜んでいるのだ。世界中を混乱に陥れたコロナ禍だって、どこかの国のどこかの場所で発生したわずかな菌からはじまったのだ。最初は目にも留まらないほどわずかだったにちがいない。戦争の悪菌も、一人の心から出た小さな悪い思いにちがいない。だがその感染力は想像を絶する勢いで周辺の人々の心を冒していく。それが膨張暴発して暴挙になるのだ。国が行えば戦争である。個人が行えば暴力事件、殺人事件である。

新約聖書の巨人使徒パウロは、いわゆる聖人君子、信仰だけでなく人格も高潔だったと思うが、そのパウロがある時自分の内面をじっと見て「私は、自分の内に、私の肉の内に善の宿っていないのを知っています」と告白している。さらに「私はほんとうにみじめな人間です。だれがこの死のからだから私を救い出してくれるでしょうか」と、救済を求めて叫んでいる。パウロのような人たちには悪へ、戦争へ走る悪の菌はない。

パウロは煩悶の中からついにイエス・キリストによる救いにたどり着き、神と和解し、「平和の破壊者」から「平和を作る人」に変えられた。一人が変えられ、二人が変えられ、家族が変えられ・・・・・・、やがて全世界の国々が「平和を作る者」になったら、戦争はなくなると信じる。

『平和を作る者はさいわいです。
その人たちは神の子どもと呼ばれるからです』
マタイ5章9節

2022年08月17日