新しい奉仕  寄稿者  草枕

風は日々新しい。古い風なんてない。そもそも今、動いているから風なのだ。昨日の風はもうない、明日の風はまだ吹いていない、それを希望の風ととらえると楽しいが、今日、今、吹いている風が新風と言えるだろう。それが生きている風だ。

3年になろうとしているコロナ禍風は教会には決して良い風とはいえない。教会とは、神様に呼ばれた者たちが集まってくるところだ。ともに神を礼拝するために。その単純な真理が壊されそうとしている。教会は一回の人数を制限したり、時代の利器を使ってオンラインで発信している。感染の危険の高い高齢者や持病のある会員は自宅で待機し、リアルタイムに送信さててくる映像で、参加している。欠席してしまうよりずっとましである。当分、活用されるだろう。配信の技術も研究し、我が教会も当初の頃より著しくレベルアップした。奉仕者たちが懸命に努力を重ねている。

もう一つ、私たちの教会はホームページからの発信に力を入れている。もともと教会の存在や活動を外に向かって知らせるPR活動であるが、内容を充実させようと意気込んでいる。この際、全面的に新しくした。リニューアルではなく新設したのである。教会員が見ても美しく楽しい。頻繁に更新できるように奉仕者は心を熱くして係わっている。教会に新しい風が吹いている。私はその風をうれしく眺めている。アナログ人間だから指一本ふれることはできないが。

ところが、アナログ人間、IT音痴の私にも奉仕が出来そうなのだ。担当者から声がかかった。新しくいくつかのカテゴリーを設けようとしているが、その中身の記事を書いたり、編集の作業に加わってもらいたいというのだ。へえ~~~~と驚いたが、思えば私もこのブログにしたって記事をアップしているわけである。書くことに係わる事ならできるかもしれない。思いがけなく私にも奉仕という希望の風が吹いてきたのだ。昨日の風でもなく、明日の風でもなく、新鮮な今日の風に吹かれるのは実に心楽しい。主の恵みとあわれみに感謝せずにはいられない。

『夕暮れ時に光がある』ゼカリヤ14・7

2022年08月10日