孫に祈られて  寄稿者  銀鈴

誕生日の祝いを家族がしてくれました。もう八十路の坂を上り出したので、歳を恥じることも隠すこともまた吹聴することもありません。もともと創造主なる神様にいただいた命であり、自力ではなく「生かされて」来たのですから、感謝しかありませんので、祝ってもらうという、手柄めいた思いはありません。

若いころ、立て続けに襲われた人生の荒波にもがいていた頃は、いっそ死んでしまいたいと、不謹慎にも思ったこともありますが、それは一瞬ことで支配されることはなく、必死に「主の御名」という救命具にしがみついていのちの岸辺目指して祈りをしました。幸いなことにあのわがままな「ヨナ」がニネベの浜辺に打ち上げられたように、私も、なんどか死の荒波から救い出されてきました。

今は「生きててよかった」、「生かされてきてよかった」という感謝だけです。パウロのように「神の恵みによって今日があります」と、告白できるこのうれしさはたとえようがありません。パウロのような働きは微塵もありませんが、それでも主は見捨てることなくあわれみを忘れないのです。主の御名をほめたたえます。

長女家族と同居ですが、私のふだんは「おひとり様」スタイルです。頑固に固執しているのはありません。多忙な若い家族はそれを願ってもいるのです。合意の下です。母も88歳まで同居ではありましたが「おひとり様」で暮らしてきました。最近は、母は頑張ったなあとつくづく思います。余談。

私は今の状況に大満足しています。今のところ足腰は守られています。一人分ですが、掃除、洗濯、食事つくり、買い物に不自由はありません。図書館へ通う足、コロナ以来欠かせない街歩きする足、時に集会に行ったり友と会ったりもできます。ただただ感謝するばかりです。

長女家族とは折々に会食してきましたが、このコロナの2年半余りは、用心して集まらないようにしています。しかし、最近は多少扉が開かれてきました。私の誕生日ですが、外食はまだまだしていません。今のところ、だれの誕生祝もお家のお茶会だけです。娘の手製のケーキ、婿殿特選の豆からのコーヒーが並びました。「ハッピー バースデー!」が歌われて、今回は大学生の孫息子が祝福の祈りをしてくれました。

すぐ目の前にある将来の仕事のためにまっしぐらに情熱的に突き進む彼の祈りは、私の心身の隅々にまで流れ込みあふれました。「生きててよかった、あの時死ななくてよかった」、「生かされてきて感謝!」と叫んだことです。
少々「のろけ」がすぎましたか、歳に免じておゆるしを・・・・。

2022年07月11日