母と私              寄稿者 なあみ

「お母ちゃん、産んでくれてありがとう」
やっと声に出して言えた。母が生きている間に直接言えたらもっとよかったのに…。

私の子ども達は、皆、成人しているが、幼い時から母の日に「お母さん、ありがとう」と伝えてくれている。
私は、ずっと、こんなお母さんでごめんね、と思っている。それなのに、ただ、母であるというだけで今も大切にしてくれる。

私自身は、素直ではなく、反抗的な娘だった。いつまで思春期が続くのか、と思われる態度でいた18歳の秋、突然、母との永遠の別れが来た。
まだ何も親孝行をしていないのに、と悔やみ続けた。
せめて、「産んでくれてありがとう」の一言を伝えたかった。

そんな私に、一筋の光を見せてくれたのは子ども達だった。
あどけない表情で私を見上げる。
転んでしまった時、なんとか立ち上がって、私の元に駆け寄り、抱きついてわんわん泣く。
学校に参観に行くと、私を見つけて手を振る。
何かができるから、とか、親を慕っているから、とか、そういうことではなくて「存在そのもの」が嬉しかった。
彼らが大人になった今も、愛しく大切に思っている。

母も同じ想いだったのではないか。
私が子ども達を思う愛情、それはすなわち母が私に向けてくれたものではないか。
そう思ったら涙がボロボロ流れてきた。
そして、母の愛よりも、さらに広くて深い神様の愛に包まれているのを感じた。
「イエス様が私の救い主です」と信仰の告白をした時のように、はっきりと自分の口で表してごらん、と神様に語りかけられているように感じた。

思いきって声を出した。嗚咽の混じる声だった。母が与えてくれた愛にはとうてい及ばないけれど、今の私の精一杯だった。

長い思春期から、次の道へ一歩踏み出したような気がした。
少しでも愛を分かち合える者になりたい。

2022年05月15日