行動制限なし 寄稿者  付箋

今年のGWでいちばん耳に残る言葉は、【3年ぶりの行動制限なしのGW】である。何度聞いたことか。そうか、そうなんだと改めて頷き、そのたびに自分の体から鎖が外れていくような気がした。確かに【行動制限】はコロナ禍が有無を言わせずに差し出した迷惑な束縛だったのだ。

かといって、急に行動制限なしと宣言されてもどっしりと居付いてしまった心身はおいそれとは動かない。走ってもいいんだ、飛んでもいいんだとは感じとしてはわかるしうれしいが、行動できるものではない。鎖が外れてもまだまだ手足には鎖の跡が生々しく?残っている。心も折れている、萎れている。

それに、強いて言えば今では【行動制限】にすっかり慣れてしまっている。コロナ禍が始まったころは、Slow、Simple、Silentと掛け声をかけて自粛に励んだが、今ではごく当たり前になってしまった。『3S』の中に喜びと楽しみと感謝があふれていることに気が付いた。知らなかった世界があったのだ。コロナ禍がなかったらそのまま素通りしてしまうところだった。もったいない・・・。

いつものようにPCに張り付いていると、時々友からの便りが聞こえてくる。こちらからも声を掛ける。「家族と墓参に行った」、「息子、娘家族がどっとやってきた」、「近くのアウトレットに行った」、「無料バスで公園を巡った」などなど小さなGWを楽しんでいた。映像では近場で楽しむ人が多かったようだ。もちろん、あちこちの飛行場の風景も報じていたが。

さて、多くの人が行き交ったGWの後の、コロナがどういう動きをするか、一抹の不安がよぎる。大きなことなく乗り越えてもらいたい。初夏が進み、新緑の美しいこの時期を穏やかに過ごしたいものである。ウクライナで苦しむ人々を片時も忘れてはならない。祈りを絶やしてはならない。

2022年05月07日