高価な食器類    寄稿者  銀鈴

かつて「一億総中流」とよばれた時期があった。今から4,50年まえからだろうか。富が平均的に行きわたり、日本人のだれもが、自分は下流とは思わくなり、少なくとも中の上、中の中、中の下当たりに位置すると信じた。経済力に限ってではあるが、ある程度満足し、安心できたのだ。

皆、海外旅行へ出かけた。行きやすくなった。旅行会社がどこへでも連れて行ってくれた。
外国旅行の話でもちきりだった。皆楽しそうだった。私ごときでさえ、チャンスが巡ってきて、何はさておき頻繁に出かけたものだった。

外国で買ってきた高価なブランド品を身に付て街を歩く人があふれた。やがてそれらのお店が日本にも進出し、ひところ銀座通りは日本とは思えない景観になった。今もだが。

ついつい前置きが長くなったが、そのころ買い集めたブランド品の食器類のことである。
当時、「中の上」だったろう彼女は最近しみじみ言った。「あのころ買い集めた食器だけど、
最近、ふだんに使うことにしたの。今じゃ、友人をお招きしてお茶会をすることもないし、親せきが集まることもなくなった。ただ食器棚の花にしておくだけではつまらないと思って」それはいい考えだ、それがいいと、私も賛成し、私自身もそうすることにした。

私は一時期、家庭集会を開いていたことがあった。10名、20名と友が集まった。集会では必ず食事、あるいはお茶を供したものだ。そのために食器類もたくさんそろえた。今もそのままである。思い立って、それらもふだんに使うようにしている。

出番の多かった食器たちは可憐な脇役を演じてくれた。使っていると当時の情景が浮かんでくる。居合わせた人々の顔も見えてくる。声も聞こえてくる。単なる懐古趣味だと笑われるだろうが、思い出は誰にも奪われない。私の頭脳が正常に機能する限り、私のものである。家庭集会は母が救われ、その後介護生活になったので、散会した。大きな収穫であった。今、朝食に、昼食に、夕食に、その日のメニューに合わせて食器を選んでいる。実に楽しい。

ウクライナの人々を思う。人々の家にもたくさんのかけがえのない思い出の品々があったろう。労苦して家を建てた人もいるだろう。庭には丹精込めて育てた樹もお花もあったろう。それらが一夜にして破壊され跡形もない。当人の命さえ奪われ、あるいは危険にさらされている。何とむごいことだろう。こんなことが本当にあるなんて・・・・。まだ、平和ボケしているのかもしれない。

一億総中流も、海外旅行もブランド品買いも、今では夢のまた夢。世界はすっかり変わってしまった。バブル崩壊、同時多発テロ、3・11、昨今のコロナ禍、目下のウクライナの惨劇・・・。事態はどのように進んでくのだろう。極東の片隅でひたすら祈りの手を組む。

2022年04月22日