春の嵐 戦禍の嵐   寄稿者  草枕

花冷え、花散らしとはよく言ったものだ。春の嵐は満開の桜を標的にするように襲った。気温も下がり真冬並みになった。整理した冬物をまた取り出す残念さ!思えば毎年同じことをしている。今年だけに限ったことではないのだ。お天気が良くなったので、桜花の様子を見に恐る恐る近くの公園に駆け付けた。あまり無残な姿は見たくなかったけど・・・・。

桜はまだまだ残っていた。ところどころに早くも緑の葉が出ていて、初々しい葉桜に姿代わりをしていた。桜はめげていなかった。嵐に耐えながら新しい命を次々に生み出していた。そのたくましさ、あふれる命に強く胸を打たれた。彼らは創造主のご計画の通りに素直に従った。それは彼ら自身の祝福になった。花衣を脱いだ桜樹は新緑に着替え、さらに夏のために緑陰を作っていく。

一方、人とは何だろうか。一番神に愛されている被造物なのに、同じ人間に銃を突きつけ命を奪う。今、世界中を震えあがらせているロシア軍の蛮行は、どんな理由があろうとあってはならないことだ。人として、してはならないことだ。どうしてああいうことをしてしまうのだろうか。戦場のせいだろうか。彼らとて、社会にいたら、一人の職業人であり、家庭では普通の夫であり父であったろうに。人は状況次第で凶暴な野獣になってしまうのだろうか。私もそうなるのだろうか。

この惨状を見聞きする事すら耐えられない。いっそ、シェルターにでも身を潜めてしまいたい。しかし耳をふさいで済むことではない。何もできないけれど、せめて心を裂き、心を寄せ涙を流して戦禍をくぐる人たちを思いたい。神は見ておられる。知っておられる。神は見逃さない。神は立ち上がってくださる。信じて祈り続けます。

2022年04月07日