三月は去る  寄稿者  銀鈴

「一月は往く、二月は逃げる、三月は去る」とよく言われるがその通りに今月も今日で終わり、3月は去っていく。振り返れば一気に去ったように思えるが、いやいや、一日一日きっちりと定められた時を刻みながら確かな足跡を残して過ぎて行ったのだ。

小さな身辺をメモしているが、繰ってみると、小さなスペースはびっしりと文字で埋められている。2月24日のロシアのウクライナへの暴挙以来、真っ先に状況を記している。また、コロナ禍が始まって以来、気になる感染者数も書きこんでいる。つい一喜一憂してしまうけれど、自分の行動の判断材料にしている。

また、コロナ禍以来新しい生活スタイルと一つとして始めた「ひとり歩き」もその日歩いた行程とスマホに表示される「歩数」を記録している。読書している本のタイトルは忘れがちである。家族の大まかな動向もスペースの隅っこに記す。友人知人の出来事も。メモは、露のように記憶からかき消えてしまう事実を、文字を通していつまでも明確に語りかけてくる。読み返しみると、ペンを握る手に喜びが生まれる。

「四月は・・・・」はない様だ。「四月は退く」とどこかで聞いたことがあるが検索しても出てこない。しかし、創造主なる神様が造られた「4月」もまた、未知の冒険の旅の一日、一日と受け止め、信仰の杖を頼りに踏み進んでいきたい。

今願う最大のことは、停戦すること、これ以上犠牲者が出ないこと、武器を手放すことである。自分が戦いとは係わりの薄い遠いところにいると思わず、すぐ隣りにいるつもりで、たった一つできる事である「祈り」に集中したい。

2022年03月31日