戦争に思うこと  寄稿者 青梅

コロナ禍は目に見えない細菌との戦いだと思う。その戦いが終わらぬうちに、新たな戦いが始まった。
ロシアとウクライナの戦争であり、それに伴う日本を含む欧米諸国からロシアへの経済制裁と言う経済戦争である。

無論、ロシアにもウクライナにも、そして日本を含む欧米諸国にも言い分や建前はあると思う、しかし日本にいて情報源が乏しいわたしには、何が事実で、何が真実なのかを計り知ることが出来なかった。
けれども、メディアが映し出す砲弾で瓦礫と化した街々を見るたびに、老若男女を問わずに、膨れ上がる戦死の人数を知るたびに、憤る心と空しい思いが満ちていく。
やがて、その思いにも限界が来たのだろうか、テレビに向かっては「彼らは何をしているのかわからないのだ」と呟く自分がいた。

だが、その言葉を、飲み込むときが来た。
その言葉、イエス様が十字架上で死ぬときに言われたお言葉で、イエス様を十字架につけた人をおゆるしになった愛と憐れみに満ちたお言葉であることに気づいたときだ。
それに比べ、イエス様の思いとは、真逆にいる自分に気づき、とてもイエス様と同じお言葉を口から出すことが出来なかった。

やはり、イエス様の愛を現すことなど、また真似をすることなど、所詮自分には無理なのだと思ったとき、自分の立ち位置が問われたような気がした。
やがて、イエス様が十字架上で言われたそのお言葉はじつはわたしに向けられていることに気づいたのである。
「そうだ、イエス様から愛されている者として、もう一度この戦争を見つめ直してみよう」と思った。

2022年03月15日