みかん     寄稿者 ママレード 

朝、ふと窓のほうを見ると、オナガドリが庭に来ていた。どうやら甘夏の実をついばんでいるらしい。

我が家にはもう三十年以上になる甘夏の木がある。子供が小さかった時、農協の植木市で買ってきたものだ。あのオレンジ色の実がなったらどんなにか子供たちが喜ぶだろうと夢見ていたのだが、木は大きくはなったが全く実をつけなかった。そのうち子どもたちは大きくなり家を離れた。

十年ぐらい前だろうか、一度に何個もの実が付いた。うれしくて「初穂よ」と祈祷会に持って行ってその日の出席した方々と分かち合った。実がなるまでに何年もかかったので次はどうなるかわからなかったのである。

ところがそれからは毎年実が付くようになった。春には小さな白い花が咲き、甘い柑橘類の香りがした。小さな実は強風でかなりのものが落ちてしまう、そんなことを繰り返している。

秋になってこい緑のはっぱの中から薄緑の実が現れ、秋の終わりにはオレンジ色になっていった。一つでも惜しくて取ってはママレードにしている。
今日この実を食べに来たオナガドリのためにいくつか残して、収穫することにした。一人がはさみで切り、もう一人は交通整理だ。人と車がないことを確かめて切り取る。

「ちょっと待って」犬を連れた女性が近づいてきた。その方は待ってくださったがどうぞと先に行っていただいた。
「よかったらおひとついかがですか。無農薬です」
「えつ、いいんですか」
その方は恐縮して甘夏1個を持っていかれた。

今ウクライナでは大変なことになっている。命を落とした人、家族と別れ別れになった人、戦争の音におびえて暮らす人。同じ地球の中で同じ時刻にある人は戦争で苦しみ、ある人は平穏な生活をしている。食事の祈りでは今はひたすらにかの地のことを祈っている。

2022年03月07日