新しいということ   寄稿者 色えんぴつ

お正月はまたたく間に過ぎた。

初めての二人きりの正月は、何事もなく終わろうとしている。

例年、教会の元旦礼拝に出てみ言葉をいただき歓談、午後からは親せきが来てともにお祝いをしていた。ところがコロナのために教会は翌日の主日礼拝があるからと元旦礼拝をなくし、親戚の来訪も去年からなくなった。遠くにいる家族が来られなくなったのもコロナのためである。

そんな中、1月1日いつものように朝6時半起床、簡単な祝い膳を用意した。いつものパンとコーヒー中心の朝食から、雑煮とおせちの和風である。食前の祈りはいつもと少し言葉が違ったが、これも毎日のこと。

2日の主日礼拝がどんなに待ち遠しかったことか。三日前に祈祷会で週報発送などの事務をしたのだが、初めて教会に行くような新鮮な気持ちになった。日曜日は聖別してと習慣づけてきたつもりが、いつの間にか惰性になっていたようにも思う。礼拝での牧師先生の説教は力強かった。

お正月だからか家族の出席が幾組かあった。どの人もうれしそう。家族とともに礼拝に出席することはクリスチャンの喜びの一つだ。

片づけをして家に帰った。すべてがリセットされたような喜びがあった。思うようにいかなかった数々、人間関係のあれこれ、将来への漠然とした不安、それらがお正月の主日礼拝で「新しく」と神様が計らってくださった。

夜、クリスチャンの友人から「うちの教会では…」と初電話があった。みんな教会人間ね私たち、そんな言葉が出てきた。

2022年01月04日