ピークアウトはいつ?  寄稿者   草枕

コロナ第6波感染者数の驚異の増加を固唾をのんで見入っている。どうにもならないが目が離せない。見るたびに知るたびにため息が出る。人間には慣れるという習性があるが、コロナに関してはその機能は働かない。東京が二万近くなり、全国でも明日は8万か。まるでよその国のようだ。遠方の友人から、自分の県はゼロ人が続き、出ても一桁であったのに今は連日3桁ですと、驚きと嘆きの知らせが来た。

この上は、ピークアウトはいつなのかと、そればかりがしきりに待たれる。近いうちに、予想より早く来るに違いないと、期待は募るけど。専門家と言われる人たちも四苦八苦しているのだろう。プロの方々の発言は影響が大きい。大変な仕事だ。しかしおよそ未来を正確に予測できる人はいないのだ。彼らを責めても何も起こらない。よくはならない。じっと身を潜めて嵐の過ぎ去るのを待つばかりである。それにしても出口が見えないのは辛い。

コロナの害は単に体だけではない。それは「コロナ鬱」などと呼ばれてすでに周知のことだが、人ごとではない。沈み込んでいる人、いやにテンションの高い人など異質のさざ波が生まれている。全部をコロナのせいにはできないが、人の弱さをつくづく感じる。もちろん自分も例外ではないのだが。受験会場で受験生が切り付けられたり、試験問題を盗撮して送信したりなどなど、顕著な例ではないだろうか。

人は世相の大波小波に揉まれながら、浮かんでは沈み、沈んでは浮かび上がり、人生の海を生きていく。自分に与えられ備えられた航路を見失わないようにささやかな意志力を堅持し続けたい。歯の浮くような抽象論だと笑われそうだが、私は一日に何度も自分を点検する。神様という曇り無き鏡を前に置いて。

さあ、襟を正して、コロナの完全終息を願って祈り続けよう。

『私を呼べ。そうすれば私はあなたに答え』

2022年01月28日