神を探して


****************************三浦喜代子


  **40年前の夏に、就学前の娘たちや妹家族いっしょに奥志賀高原に遊んだ。毎日ロッジの裏山に付近の沼めぐりにと、 狭い起伏の多い山道を元気に歩いた。

**まもなく父母と犬吠崎へ出かけ、灯台下の磯の岩を飛び越えたり、海水浴をした。続いて教会学校のキャンプがあった。

「今年の夏は山にも海にも行けたね」「いつもの夏よりずっと楽しかったね」

**幸せな思いに満ちて、感謝し合った。

**8月末の残暑厳しい朝、私は自転車で近所に出た。信号が変わって、車たちがいっせい走り出したその一瞬、左折するトラックの後輪に巻き込まれた。 足一本失う危機にさらされ、夏の思い出は木端微塵に砕け散った。

**神様は私の幸いをもぎ取って山のあなたへ去ってしまった、こんな足ではもう2度と海にも山にも行けない……。

**くり返される手術の中で、私は神様を探して苦悩苦痛の闇底をさまよった。

**しばらくして気が付いた。神様はどこにも行かず、ずっと私のそばにおられたのだ。私が神様を見失っただけであった。

**怪我は最悪を脱し、起居の動作に大きな不自由はなく、何よりも生きる希望が生まれた。

 









****************************長山知子


**「知恵子は東京には空が無いといふ。ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。桜若葉の間に在るのは、切っても切れない昔なじみの空だ。
どんよりけむる地平線のぼかしはうすもも色の朝のしめりだ。知恵子は遠くを見ながらいふ。安達太良山の上に毎日出てゐる青い空が知恵子のほんとの空だといふ。 あどけない空の話である。」

**彫刻家、高村光太郎が妻である知恵子を書いた詩である。私は、山があってこそ空があると思っているので、知恵子の気持がよく分かる。

**海は砂場である波打ち際があって、自然の美しさも感じるのである。山もなく、家と平地だけの空には味がない。

**私の故郷、静岡県三島市も伊豆の山々に囲まれている。しかし、新聞記事で福島県の安達太良山を見て驚いた。山の深さが伊豆の山より深く感じたのである。

**知恵子と私はよく似ている。高村光太郎は台東区下谷出身、私の夫は上野桜木生まれ育ちだ。 上野の空が一番だと思っていたが、今は千葉県柏に住んでいる。2人で人生の山を登っている。



 











****************************山本千晶


**興味深く見続けている番組がある。「日本百名山ひと筆書き踏破」 登山家で作の深田久弥が記した日本百名山を一切の交通機関を使わず自分の足だけで踏破しようとする若者が紹介されている。南は屋久島から北の利尻岳まで全行程7800キロ。 その登山の様子を山ごとに紹介する番組。

**2014年春に始まり、秋には予定通り井百座踏破完了。61座目の富士山登山時を節目に彼の姿は、それまでと変わったように思えた。それまで断崖絶壁等、 困難な状況に遭遇しながら、いつも鍛え抜かれた体力、訓練された判断力で力強く乗り越えていた。

**しかし、富士山という世俗的に親しまれ誰もが登ってみたい、と思えるような山が以外にも過酷な登山になってしまった。登り始めに肩を脱臼した。 「力んじゃいましたね」と、痛みと戦いながらの登山になる。八合目あたりからは高山病に苦しむ。山頂直下の鳥居をくぐり、最高峰の剣ヶ峯まであと一歩のところで強風に阻まれる。 急く心を抱きつつ風がやむのを待ち山頂に。数々の山を踏破してきた彼の逞しい表情がこの日、がらりと変わって見えた。

「この山を登れて幸せ者です」

**清々しい彼の声から伝わってくるものがあった。
















   
BACK