明治から平成へ


****************************島本燿子


  **母は曾祖父の秘蔵の孫娘だったと聞く。その祖父の死を前に、遺産分割を迫った大叔母達の忌まわしい姿は記憶の底に深く刻まれ、 戦後の民法改正による平等な相続権を放棄して、ただ一人の弟に譲った。明治生まれの母は、旧民法の世界に生き抜いたのである。

**母は、大叔母達が要求したあの土地だけを相続した。私には、祖父から孫へ贈られた土地だとしか思えない。今は平地だが、地目は「山林」である。父は退職後、 竹や木の根と格闘して、小さなアパートと家を建てた。

**母が亡くなると、アパートの跡地は3人姉妹と兄弟と、その妻の七人に贈るとの遺言があった。母の方針が姉妹は兄弟を支えるべき存在だから、 「嫁たち」への遺贈分は姉妹よりも多い。兄弟の家の相続税の一部は、税理士の計算で姉妹も分担した。世にいう「争族」とならないために、皆で穏やかに話し合った。

**母の還暦から103歳で亡くなるまでの40年余り、自分たちの加齢は顧みず母を支えてきた。母は最期まで旧家の娘としての誇りを保ったが、多くの山坂を超えられたのは、 母が共にいたお蔭でもある。跡取りの兄は実家を売り、有料ホームに入った。

**山坂は遥か彼方に消え、今はすべて平安のうちにある。
 









****************************佐藤晶子


**高校生の夏休みに北アルプスの剱岳に登る機会を得た。それまでのハイキングとは異なり、 縦走と名の付いた本格的な登山と知り、得体の知れない不安が私を襲った。それでも私は気を取り直して参加することにした。

**濃霧で一寸先も見えなかったのに、突然視界が開けた時には辺りは一面のお花畑。
**悪天候で仕方なく宿泊することになった小屋で眺めた朝日の美しさや、道中ですれ違う度にかけ合う挨拶。それらの体験は、重い荷物と長時間の歩行で体力の限界を覚えた私への 神様からのプレゼントだったのだろうか。

『目をあげて、わたしは山々を仰ぐ。わが助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから』(詩篇121篇 新共同訳)

**長男を連れて通っていた教会で、この詩篇を歌う讃美歌に出会い、目が開かれた。私たちをいつも守ってくださるのは、 天の父なる神様お一人であると知って心強く思った。

**これから先、どんな困難な山に登らなければならないか今は知る由もないが、その度に神様は必ずみ言葉によって導き、豊かな恵みで満たしてくださるに違いない。 私はそのお方に信頼して歩んで行きたいと思う。  









****************************臼井淳一


**ある夏の日に、アイリーン・ウエヴスタースミス先生と大学生だった吉田君と私は、清里の駅から八ヶ岳の南麓にある 清泉寮を目指して今にも覆い被さってきそうな草深い砂利道をとぼとぼと登って行きました。大学生を対象にしたキリスト教の修養会に参加するためでした。

**この辺境な地の開拓者であるポール・ラッシュ博士が行っている数々の偉業など知る由もなかったのですが、どうやら先生と博士は旧知の間柄だったようです。

**それから30年経った平成7年の夏に、私は近所に住む中学生を連れて再び清里の地を訪れました。あの草深い砂利道や高原は見違えるほどに綺麗に整備されておりました。

**その美しい景観や涼風を満喫しつつ、博士が信仰を持って進めた清泉寮を始め、モデル農村センター建設状況、教会や保育園、高冷地野菜の振興状況などをつぶさに学習して回りました。

**生徒たちを連れてそこを何度か訪ねた折、八ヶ岳連峰を背に建つ大きな石柱を見つけました。

そこには詩編121「われ山に向かいて目をあげん わが助けはいずこよりきたるべきぞ」と刻まれていました。
 














   
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