私の中のバルク 池田勇人
聖書箇所 旧約聖書エレミヤ書四五章 バルク
中心聖句 私の舌は巧みな書記の筆(詩篇四十五篇1節)
私は中高生のころ、すぐ上の兄(四男)と枕を並べて、将来就くべき職業について夜の更けるのも忘れ、よく語り合ったものです。特に心が躍ったのは、二人が協力して事業を起こし、その利益で教会を建設しようということでした。時には父も加わって、そのためにはこれから何をしたらいいのか、布団の中の会議はいつもムンムン熱くなるのでした。冒険のできるあの若かったころは、夢がまだ新鮮な食べ物だったような気がします。
気がついてみると、いつのまにか私は牧師になり新潟へ。兄は東京のキリスト教出版社勤務、父は天上の人となっていました。
バルク(祝された者の意)は兄弟セラヤ(主は忍耐強い)とユダ王国末期の中で、指導者達の傲慢と民の不信を憂い、自分達がしなければならないことを語り合い、献身の誓いをしていました。「北イスラエルのように自国を滅ぼすな! 我らは身命をかけて……」と。
前者は預言者エレミヤの愛弟子・書記(エレミヤ三十六・4)となり、後者は王宮警備隊長・ゼデキヤ王と共にバビロンへの平和使節団員(エレミヤ五十一・59)に。セラヤもまたエレミヤのよき協力者でした。(涙の預言者エレミヤは、決して孤独ではなかったのです。)
しかしバルクには間もなく、燃え尽き症候群の症状が。『ああ、哀れなこの私。主は私の痛みに悲しみをくわえられた。私は嘆きで疲れ果て、いこいもない』(四十五・3)と叫びました。「私達は頑張って王宮と国を改革しようとしているのに、なぜ捕囚の憂き目に遭わねば・・・」と。
自律神経の弱い者なのに、神学校出たての私は全能感に満ちていました。赴任した教会は二〇名ほどの群れなのに、「この教会を新潟で一番大きな教会にしましょう。主がそれをしてくださると信じています。」と、右肩上がりの成長路線を叫んでいました。そしてそのようになっていきました。十年で四十数名に。(当初五年の計画でしたが)
会堂増築・鉄骨での新会堂建築、幼稚園開設と溢れる主の恵みの連続。そして綻びがでたのは、幼稚園の人事においてでした。詳細は書けませんが、教会役員会が牧師不在の中でなされたと聞き、今が潮時と辞任を決意。
それなのに川越に来てからも、私の成功拡大主義は変わらず、十年近くは礼拝が増え続け、その間に新会堂建築もなされて、有頂天。そんな私に神様はストップをかけられ、『あなたは、自分のために大きなことを求めるのか。求めるな。見よ。わたしがすべての肉なる者に、わざわいを下すからだ。……』(四十五・5)と、バルクへのみ言葉を私にもくださったのです。それは二年間受洗者なく、会計も赤字続き、牧師失格・父親失格という思いの中でのことでした。
「ごめんなさい、主イエスさま。私が何かやってきたように錯覚していました。傲慢でした。お赦しください。わたしをあなたの通りよき器としてください。」
と祈る中で、詩篇四十五・1『私の舌は巧みな書記の筆』も示されました。
私は他の牧師の競争者ではなく、主の巧みな書記を目指せと。
祝福とヤコブ 涙とヒゼキヤ 浅見鶴蔵
旧約聖書 旧約聖書創世記 ヤコブ Ⅱ列王記 ヒゼキヤ
中心聖句 あなたの名は…イスラエルだ。(創世記三十二章28節)
あなたの涙も見た。(Ⅱ列王記二十章5節)
ヤコブと兄のエソウとの間にいろいろな葛藤がありました。それは「ヤボクの渡し」のことです。
「ヤコブは一人だけ、後に残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘をした。ところが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。…ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」その人は言った…あなたの名は、もうヤコブとは呼ばない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って勝ったからだ。」(創世記三十二章)
なぜ主は、ヤコブを祝福したのでしょうか。イサクの妻リベカは不妊の女であった。イサクはリベカのために、主に真剣な祈りをした。主は彼の祈りに答えられ、リベカは双子をみごもった。兄はエソウ、弟はヤコブである。
出産する前に、リベカに主からのみ言葉が与えられていた。
「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は、他の国民より強く、兄が弟に仕える」創世記二十五章
信仰の生き方は、自分が考えている以上に大きな意味を持ち、日々の生活にも多くの影響を与えていると思うようになりました。
ヤコブが祝福されて「イスラエル」と呼ばれたように、自分もこの『祝福』の意味を充分にかみしめたいと思います。
ヒゼキヤ王が、病気になり死にかかっていた時、預言者イザヤが来て、「彼に言った。あなたは死ぬ。直らない」そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて、主に祈って言った。
「ああ、主よ。どうか思い出してください。私がまことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたがよいとみられることを行ってきたことを。」
こうして、ヒゼキヤは大声で泣いた。しばらくして、イザヤに主の言葉があった。「引き返して、わたしの民の君主ヒゼキヤに告げよ。あなたの父ダビデの神、主は、こう仰せられる。わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたを癒す。…わたしはあなたの寿命にもう十五年を加えよう」ヒゼキヤは、干しいちじくによって直った。
神が、ヒゼキヤの祈りを聞いて下さったように、わたしたちの祈りをも、即座に聞いてくださると思いますが、求めたように応えてくださるかは、神の御旨によるわけです。すぐに応えがあれば心は和みますが、神は心の思いの涙をも全てご存知です。ヒゼキヤの祈りを聞きながら、イザヤを引き返させた神を想うのです。
見送りの時 西山純子
聖書箇所 旧約聖書創世記 ヨセフ
中心聖句 神は必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください。(創世記五十章25節)
とっぷりと暮れた外を見ながら「気をつけて!」と声をかけてくれている石川先生に気づきながら、私たちは常に悪がきみたいにドタドタと、振り返りもせず教会の門を走り去った。
何かにつけて反抗しては笑い、聞き従うことを拒むことが格好良いことであるかのように、私たちは医科大学のインターン生であった彼に逆らうことが多かった。
教会学校の高校科の先生をしていた彼は絶えず笑顔で話かけ、男子生徒にも女子生徒にも公平に対応してくれた。聖書の学びと共に文学の話もしてくれた。その内容も私たちの関心度を増すには十分であったし、時には皆で熱心に論じ合いお互いを知り合う機会ともなった。
彼はそんな時にもニコニコとしており、一方の意見に加担したりすることはなかった。しかし、彼が「皆でたまにはお茶を飲みに行こうか?」と声をかけてくれると、一斉に女子は断った。男子が喜んでついて行った。
その彼が大病をして手術をした。その後に郷里の親達が決めたという婚約者から婚約解消の申し出があった。さすがの私たちも彼が気の毒でショックを受けた。その時に彼は静かに笑みを浮かべて言った。
『これらの人はみな、信仰を抱いて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言い表した』(口語訳聖書ヘブル人への手紙十一章13節)の聖句を挙げた後に旧約聖書の創世記を示し「僕はヨセフのような信仰は与えられなかったけれど、確実に今の僕を支えてくれているものはキリスト・イエスの十字架の死と復活の信仰だよ」と。
私たちはその時初めて、兄弟たちに嫉妬され憎まれ、奴隷として売られたヨセフの姿と、常に笑顔をもって対してくれる石川先生を重ねて思い、神がヨセフをどんな迫害の中でも守り抜かれたことを学びとった。
ヨセフの生涯と神による知恵が、それ以来忘れられなくなった。
石川先生は、後年になって未だ若い、早すぎると言われながら静かな彼らしい地上での最後を迎え、天国に帰っていった。その時になって私たちの帰途を、いつも案じながら祈るように「気をつけて!」と見送ってくれた姿を思い、激しく泣いた。
立派になったヨセフを、誰であるか気づけなかった兄たちを見て、弟や父を案ずるヨセフの気持ちと、石川先生の私たちへの思いが、どんなに長くつらいものであったか、その瞬間に重なり合った。
私たちは出棺の後、火葬場にも向かい、讃美歌「また、逢う日まで」を、いつまでも、いつまでも歌い続けた。
乳を含む赤子 長谷川 和子
聖書箇所 旧約聖書出エジプト記 モーセの母ヨケベデ
中心聖句 その女は、その子を引き取って乳を飲ませた。(二章9節)
一人暮らしをしている息子が五月の連休に帰って来た。
息子に会う度に今から三十八年前に思いをはせる。
産後一ヶ月で夫の仕事の都合で足立区から西国立へと引っ越した。
早朝出勤、帰宅は二十三時頃という夫に合わせての家事、育児に私の体は疲労困憊、悲鳴をあげていた。
心臓発作、失語症、不眠等々…特に心臓が早鐘のように打ち出し、呼吸もままならず、胸が破裂するのではないかという恐怖のなか、何度救急車の世話になったことか。時は高度成長期、デパート建築の工事現場で総監督として働いていた夫は、私の病に目を向ける余裕はなかった。
やがて私と息子は夫の実家である米沢で静養することになった。度々の発作で義兄夫婦に迷惑をかける結果となるので入院することになった。案内された病棟は出入り口に鍵が掛けられた「精神科」であった。自律神経失調症だとは聞いていたが、その文字に衝撃をうけた私は病が更に悪化していった。
生後三ヶ月の息子は近くに嫁いでいた義姉夫婦が預かってくれることになった。十歳の男の子と八歳の女の子のいる家庭の中で兄弟のように息子は育てられた。
時々張ってくる胸を抱えるようにして私は洗面所に行き、人気のないことを確認した上でお乳をしぼっては捨てた。乳頭に吸い付きゴクゴクとのどをならして飲んでいた我が子を思っては涙した。
週一回義父が私の病のことで担当医との面会のため病院に来ていた。その都度「赤ちゃんを連れて来てほしい」と私は懇願した。「解った」と言ってくれたが実現に至らず、沼底にはまっていくようなもがきの中で、無垢な子の顔が頭から離れないでいた。やがて駄目な母だと思うようになり、「どうしたら死ねるか」と病棟内をうろつき死に場所を捜すようになっていた。
モーセの生母はエジプト国王パロの「生まれた男児を殺せ」との命令で我子を籠に入れ、ナイル川の葦の上に隠すように置かざるを得なかった。
優しい弟思いの姉ミリヤムは流される籠を追い続け見守り、拾い上げたパロの娘に向って「この子に乳を飲ませる乳母を呼んでまいりましょう」と言った。
そして赤子モーセは無事母の胸に抱かれたのである。その時の母の喜びはいかばかりであったであろう。永遠の別れだと思っていた我が子に乳を含ませることが出来たのだから…。
乳飲み子を手放す悲しさを味わった私は、息子に「済まないことをした」という思いに長年縛られていた。
その後三十五歳と四十五歳のときそれぞれ開腹手術を、その他様々な病と交通事故に三回も見舞われた。しかしいつ命を落としても不思議ではない私を神は生かしてくださった。
今、イエス・キリストを証しする文書伝道の一端を担うことを使命としている。日々神の恵みによって生かされている私は、今後も「あかし文章」を書く者となっていきたい。
白百合のきみ エステル 北川静江
聖書箇所 旧約聖書エステル記 エステル
中心聖句 あなたがこの王国にきたのは…このときのため(四章14節)
まっさおな空に一すじの、ひこうき雲がずんずんのびていく、もっともっととおく長くずんずん、ぐんぐん伸びていく。あかね雲をこええて、だんだん空はたそがれ色に変わって、そしてうすずみ色になり、ハトやカラスや小鳥たちがねぐらに帰っていきます。
みどりは、さびしい気持ちで見つめているうちに、教会学校で聞いたばかりのエステルさんのことを思っていました。あのひこうき雲に乗ることができたら、進んでいく先の先にエステルさんに会えるような気がなんとなくしたのです。
すっかり当たりは暗くなり、星々が一つ二つとかおを出してきました。白いひとすじのひこうき雲はだんだん金色に変わってヒューっとものすごい速さですすみ、みどりは、いっしゅん目がくらんで頭がくらくらっとしてしまいました。気が付くとミクロの粒になって光の尾にのっていたのです。
光の尾はじだいの時をあっという間にこえて過去へ過去へととんでいきます。人目には見えないミクロの大きさになったみどりが、光の尾にしがみついていました。
みどりは、さびしいきもちだったことをわすれていました。あっという間にきげん前四五〇年のじだいに入っていました。まばゆい大きな宮殿が見えて光はその上で止まりました。みどりは、だれにも見られず、王様の宮殿の中に入ることができました。 すると、はっきりした太い、そしてきびしくもやさしい声がきこえました。
『・・あなたがこの国に迎えられたのは、このような時でなかったとだれが知りましょう』
「ア、これはモルデカイさんのことばだわ。先生がはなししてくれたわ」
するとうす絹のまっ白のドレスとストールを身にまとった白百合のような気品ある女の人がいました。美しいお顔には苦しんだようすがありありと出ていました。そのなやみの末に決心をしたと思われるリンとしたお声が聞こえました。『私はほうりつにそむくことですが王のもとへ行きます。私がもし死ななければならないのなら、死にます』
エステルさんは、自分の国民の命を自分の命いじょうに愛することのできたけだかい心の大きな愛の人です。
その時ピカッと強い光がはしったと思ったら、元の所、ふつうの大きさにもどっていました。みどりは、たいへんはげまされました。
みどりは、お母さんが早くなくなったことで、悲しい上に、かばってくれる人がいません。村じゅうの人からことばのいじめや、いやがらせを受けました。
お母さんがなくなったのに、かわいそうと思わないで、なぜいじめたりするのか、どうしてもわかりませんでした。
死にたいとなんど思ったことでしょう。でもエステルさんのように強く生きよう、と決心ました。
異国に散った星 エステル 三浦喜代子
聖書箇所 旧約聖書エステル記 エステル
中心聖句 私は、死ななければならないのなら死にます。(四章16節)
エステルとは、ペルシャ語で星を意味するという。
娘たちが教会学校から『エステル』の絵本をいただいてきた。年子の二人が相次いで就学したころだったとおもう。
二人はすっかり気に入ってしまった。明けても暮れても、国語の教科書のようにくり返し音読していた。
エステルのどこが二人のハートに響き、どこに捕えられたのだろう。
当時、我が家庭は崩壊の嵐に直撃され、母娘三人の暮らしが始まったばかりであった。幼いとはいえ、彼女たちはそれなりに傷つき、心細い思いをしていたことだろう。エステルの境遇に深い共感を覚えたことは確かだ。
エステルはユダヤのバビロン捕囚民の子である。異国ペルシャで父母を失い孤児となった。従兄弟モルデカイに育てられたものの、うら寂しい日々を送ったことだろう。そのエステルが、なんと、王妃に選ばれてきらびやかな宮殿に住まうようになるのである。娘たちにはもうひとつのシンデレラ物語だった。
エステルは心の夜空を照らす希望の星になったにちがいない。
もちろん、私にもそうであった。
時流れて、娘たちが直接聖書からエステルを読むようになったころ、子育てを終えた私は、第二の人生を祈り模索していた。
足もとに見つけたのが《あかしの文章》だった。神様の置かれた捨て石だったとおもう。
忽然と、書きたい思いが目覚めた。あるキリスト教雑誌の証し作品募集案内が目にとまった。
「エステルを書こう」即座に決めた。
『異国に散った星』と題して五十枚のエッセイを書いて応募した。
エステル記のクライマックスは、モルデカイがエステルに『あなたがこの王国にきたのはこのときのため』と迫ると、エステルが、『死ななければならないのなら死にます』と応じて、命を賭して王に直訴する場面であろう。
エステルは、歴史の主である神様に助けられてユダヤ民族を救い、一躍光り輝くアルファー星となった。
が、エステルは遙かユダヤの地を恋い慕いながらも、異教の色濃い宮殿を去ることはなかったにちがいない。エステルは異国ペルシャの夜空に散った星といえる。
しかし神の物語はそれで終わらない。
数百年を経て、明けの明星と呼ばれるイエス・キリストは十字架上に一身を犠牲にし、全人類を滅亡の淵から救った。
そのきらめきの中に、エステルの星のかけらを見る思いがする。
ヨブとの出会い 島本耀子
聖書箇所 旧約聖書ヨブ記 ヨブ
中心聖句 主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。
(ヨブ記一章21節b)
ヨブは神様から最も信頼された無垢な正しい人だった。ヨブの信仰心を疑うサタンに、神は命だけは奪うなと命じ、彼に苦難を与えて試すことを許した。
クリスチャンは神に縋ってさえいれば楽なのだろうと言う私に、クリスチャンである姉が語ったヨブの苦難の物語である。姉は、キリスト教がご利益信仰ではないと言いたかったのだ。苦難は何とか避けて通りたい私には期待はずれの話だったが、神に叛かなかったヨブの強い信仰に感心した。しかし、その時の私は、ヨブ記はサタンの敗北の物語であると理解しただけだった。
十代でハンセン病のため失明した著者が証しする「小さなヨブ」という本を読んだことがある。キリスト教系学校誌の訃報に、《主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな》と添えられていた。試練には脱出の道が備えられているとも教えられ、少し安心した。その後も聖書に導かれて受洗に至った。
それから五、六年は平穏に暮していたが、夫が仕事上のトラブルに巻き込まれた。夫の訪問先へ同行する私に、冷たいビル風が吹き付けた。
ある日突然、片目が痛み出した。顔面が歪み、水分は曲がった唇からこぼれる。顔面神経麻痺である。早速入院して点滴治療が始まった。目の痛みは、麻痺のため目が乾いたためだという。医師は、命にかかわる病気ではない、目が悪いわけではないと、取り合ってくれない。何度、病院を抜け出して眼科医へ行こうと思ったことか。しかし、寒い戸外へ出て行く勇気もゆとりも無かった。
あきらめて持ち込んだ年賀状を仕上げ、改めてヨブ記を読み始めた。何をしてもしなくても、目は痛い。後で分かったが、角膜に傷がついていたのである。
病院前の桜の木は電飾を煌めかせていたが、期待したキャロリングは訪れない。16号国道では、暴走族の爆音が激しいクリスマスイブだった。
消燈後の看護婦詰所はからに。痛い。眠れない。神が私をまだ用いてくださるのなら目と口を直して下さいと祈る私に、神様だけが近かった。讃美歌が低く唇から洩れ出た。声は次第に高まったが、聞こえないのかだれも制止に来ない。歌いながら気がついた。唇は歪んでいても、顎と舌は普通に動いている。
顎と舌の動きに合わせて発声し、唇の形を正せば良いかもしれない。朗読で習った活舌を、「アエイオウ」とやってみた。麻痺は完治しないまま退院したが、家庭医学書を参考にマッサージを試みた。医師は一年掛かると言ったが、二ヵ月後には快復した。
夫の職場のトラブルも解決した。私たちの努力は報われたのである。その間、平安な心でいられたのは、神の守りのお陰だった。
《私は幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならない》。
私の信仰の先達として、ヨブが教えてくれたみことばである。人は神のご計画を知らない。神は神であるから礼拝するのみなのである。
私は小さな小さなヨブになって、これからをも生きて行きたい。
ヨブ 村上トシ子
聖書箇所 旧約聖書ヨブ記 ヨブ
中心聖句 私は裸で母の胎から出てきた。
また裸でかしこに帰ろう。(一章21節)
六年前長女の次男、祐希の出産直後に立ち会うことが出来たのは、まさに劇的で感動的であった。産室のドアを開けた途端、目に入ったのは長女がまだへその緒のきれていない赤ん坊を、ベッドの上で仰向きになったまま高々と抱き上げているのだ。赤ん坊にはまだべっとりと母胎にあったときの体液がついたまま。そばに突っ立ったままの助産婦が長女の夫に「へその緒を切ってあげなさい。」と言って鋏を渡した。彼は大きくうなずいて呼吸を整えたあと、プツンと鋏を入れた。そのあと赤ん坊は産湯をつかわせるためにとなりの部屋にうつされた。
この光景を目にして以来、冒頭に掲げた聖書の言葉が、いっそう現実味を帯びて、私の心に強く迫ってくるのだ。
春宵一刻値千金 よむことの課せらている ヨブ記に熱し
ある時は 希望の器 ある時は 悲しみの器としての ヨブ記はありぬ
みどり児を こわごわ抱きつつ みことばの かしこに帰るを思い浮かべり
正座して 襟を正して 読むものと 文机のちり 払いのけたり
これからも かしこに帰るのみことばは 常夜灯のごと 灯り続けん
ヨブ記のヨブに触れようなんて浅慮の致すところと失笑を買われそうだが、「レポートや論文作成にあらず」とのことにて気持ちを楽にした。今更言うまでもないのだが、悲しみと苦難の記、ヨブ記は難解さでも群を抜いており、私の浅学さに理解不足が手伝って手に負えないというのが正直な気持ちである。
にも拘らずヨブ記からは目が離せない。そしてまた誤解を恐れずに言えば、私にとってヨブ記は、幸せ気分にひたっているときに読むものであり、実際そのような読み方をしてきたように思う。自分との距離があればある程、冷静に読め、ヨブの悲しみと苦難がより深く認識できるからと思うのだ。
歌を詠む時、文章を書く時、悲しみの最中にある時は絶対に悲しみを書くことはできない。悲しみが薄らいで来た時、ようやく書けるものであり、その時書いたものは客観性をおび、逆に悲しみが伝わり読む者に感動を与える。例えはあまりふさわしくないかも知れないが、そんな風に思う。
だから本当に自分に不幸が押し寄せてきた時(ヨブの不幸には及ばないにしても)果たして冷静さを持って読めるだろうか。ヨブの深遠さと全き信仰を受け入れられるだろうか。多分わが身とだぶらせてしまい読むことを放棄するだろう。
実は我が家を襲った会社倒産の時の恐怖と苦悩は筆舌に尽くし難かった。ヨブ記のヨブに慰めを得ようなんて露ほども思わなかったのである。
ヨブ記から目が離せないと言いながら、このような読み方をしている私、そういえば長女の出産も幸せ風景である。幸せ気分の時読んだヨブ記、その時こそヨブの悲しみと苦悩がひしひしとわが身にもこたえるから不思議である。
余生ではなく「与生」である 遠藤幸治
聖書箇所 旧約聖書イザヤ書 ヒゼキヤ
中心聖句 わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたの寿命にもう一五年を加えよう」(三十八章5節)
医者はなんという診断を下したのか。私が初めて入院したとき、尿毒症となり、これで助かった人はいないので親戚をよぶようにと言ったそうだ。私が三十一歳のときだった。
兄弟、親戚、友人がびっくりして見舞いにきてくださった。中でも当時所属していた松原教会の皆さんが一度に十八人の兄姉が病院に駆けつけてくださった。六人部屋だったが、他の患者さんは皆外に出ていかれ、この病室が私のために開放されてしまった。
ベッドの傍らで私の汗と涙をぬぐって下さる兄姉。聖書を読み、声を詰まらせながら祈ってくださった牧師先生。皆さんが歌ってくださった賛美歌(二九0)に感謝の涙が止まらなかった。目が開かないほどに浮腫んだ顔で泣いていた。
以後、何回となく牧師先生の見舞いに与り、聖書を読んで頂いた。あるとき牧師先生は、イザヤ書三六章から三八章に出てくるヒゼキヤという人の話をされた。ヒゼキヤの病気のことが三八章に出てくるが、彼のひたむきな信仰に学ばされた。イザヤが来て言った。『あなたは死ぬことになっていて、命はないのだから、家族に遺言をしなさい。』(三八章1節)牧師先生は、あの時はそうは言わなかったが、苦しい中、共感を持って聴いていた。
『涙を流して大いに泣いた』(3節)ヒゼキヤのように、私も神様の前に随分と泣かされてきた。感謝の涙。喜びの涙。悲しみの涙。罪を悔ゆる涙など、その都度、神様の愛の御手により私の涙は拭われてきた。
神は、私の流す涙を漏れなく数えられ、報いてくださった。ヒゼキヤは死ぬことになっていたが十五年延ばされたことが書いてある。(イザヤ三八章5節)私も助からない病と言われ、あれから十五年どころか、四十四年も生かされてしまった。この生の陰には、イエス・キリストの十字架の贖いがあったことは忘れることはできない。
ヒゼキヤは病気が治った後、(ミクタブ)歌をうたっている。ミクタブ、それは「アラビヤ語でカタマ(隠す)アッカド語カターム(贖う)等から類推して、罪、汚れを覆い、贖われるために歌われたもの、すなわち公的礼拝用の讃歌に対する個人的な黙想、祈りの歌をさす」と聖書辞典には記してある。
このヒゼキヤの詩にはイエス・キリストの十字架が暗示されていると思った。列王記下、十八章から二十章にも同じことが書かれている。
私はあのとき以来、アハズの子であるヒゼキヤというこの人を身近に感じるようになり、この人に重なるように思われてならない。大学病院に転院するとき、担当医師が私の胸に聴診器を当てながら、「もうけものしたなー」と言った。
人工透析を導入して十五年が過ぎた。透析を始めた頃仲間たちが話していた。何でこんな病気になったのかと。私も「どうせ付録みたいな人生だ」なんて思っていたが、付録どころではない。余生なんて余った生でもない。実に「与生」なのだ。神様から与えられた生であることを日々に深くする者である。
新しいちからを得て 土屋 理絵
聖書箇所 旧約聖書イザヤ書四十章
中心聖句 しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、鷲のように翼を張ってのぼることができる。走っても疲れることはなく、歩いても弱ることはない。イザヤ書四十章31節)
私の大好きな日本語ゴスペルの中に「新しいちから」(ピアノコウジ氏作詞作曲)という曲がある。ラテンのリズムと元気の出る歌詞の効果で、歌っても聴いてもタイトル通り「新しい力」が漲ってくる。初めてこの曲と出会った時から、みんなで賛美できる日を心待ちにしていた。
そしてやっと初練習の日。滅多に休まないリハなのに、歌いたかったのに、行かれなかった。なんと娘の卒業式と重なっていたのだ。
「いいな、いいな。録音ダビングしてね」メンバーに言い残し、高校へ向かった。電車の中でも未練がましく「みんなこれから新しいちからを歌うんだなあ」と思いながら、МDを何度もリピートして聴いていた。「今から卒業式、学校へ行くのも今日が最後……」メールをしているうちに、これまでの娘の色んな思いが交錯し、急に熱い涙が込み上げた。♪「翼をはって大空に」の一瞬だけマイナーコードになる所がツボだった。ラテンの超明るい曲なのに、泣けた。
息子が七歳下でしかも体が弱かったので、そちらにばかり手をかけている間にいつしか娘は高校を卒業する歳になっていた。私がしてやれたことは少なかった。自分への至らなさを省み、それでも娘を立派に成長させてくれたことを神様に感謝し、ラッシュ時の満員電車の中、一人ハンカチで瞼を拭った。
卒業式。先生たちからの門出の祝辞のあとは、卒業生代表の挨拶。しんと静まり返った講堂の中、泣きじゃくりながらも立派に語る声が響き渡る。
「私たちは今日、一羽の鳥になります。大好きだったこの学園から大空に向かって飛び立って行きます」
その声を聞いた瞬間、驚きと感動でまた一気に涙が頬を伝った。それ、「新しいちから」の歌詞!私が今日歌いたかった曲!どうして!すごい! 思わず周りを見ると、母親たちみんなが泣いていた。思いは誰もが同じだった。
卒業式の最後に神様がそなえてくれた祝福の瞬間だ。エンデイングテーマはもちろん「新しいちから」。
♪ 主に望みをおく者は 大いなる新たな力を得て 翼をはって大空に
舞い上がることができる!
走っても疲れることもなく
歩いても弱り果てることもない もう倒れない
永遠の神が共におられるから
生きてる限り 主をほめたたえよう
いのちの限り 私の神に歌おう
昨春娘は制服を脱ぎ、新しい力を得て大空に向かって舞い上がって行った。
どんな時でも、主がそばにいてくださいますように。
涙の預言使者エレミヤとわたしの牧者 佐藤一枝
聖書箇所 旧約聖書エレミヤ書 エレミヤ
中心聖句 主に向かって歌い 主をほめたたえよ。主は貧しい者の命を悪人の手から救われたからである。(二十章13節)
「私と聖書の人々」というタイトルに決まったとき、私は何日も何日も祈り、私が過去・現在に影響を受けた先生方や友人を思い浮かべ、聖書の人物に当てはめようとしました。自分の所属している新座教会の佐藤直哉牧師(四十歳)に相談したところ、「私にしても良いですよ」と、いともあっさりと答えてくださいました。おもしろい牧師だと思いました。
「ところで、先生と聖書の人物で重なる人物って誰でしょうか」と質問しますと、「パウロかな、それともエレミヤかな」と、小さな声で言われました。
パウロはダマスコ途上で回心するまではキリスト教を迫害していた人物、佐藤師は救われる前は統一教会で活動していたという経歴の持ち主。救われて召命を受け神学校に入り卒業して牧師になってからは熱い、熱い福音のメッセンジャー。
エレミヤはといえば、涙の預言者と言われます。
エレミヤが召しを受け、預言者として立ち上がった時代は紀元前六百二十六年で、エルサレムの荒廃、民族の死の苦悶、バビロン捕囚と試練つづきの時代でした。神様から離れ悪事の限りを行っているユダの民にエレミヤは張り裂けるような心で悔改めをうながしました。夜も日も涙を流して彼等が悪から離れ神様に立ち返るようにと祈り続けました。
エレミヤの時代から三千年近い年月が経過した現代はどうかと言うと、人心は一向に良くならず、世相は滅びの一直線に向かっているかの様相です。こうしている時も世界のあちらこちらで戦争や紛争がおきています。そうした中でキリスト者はほんの一握り、さらに指導者である牧師先生方はまさにエレミヤの如く涙してイエス・キリストの福音を信じて救われるように祈っておられるのです。
私自身受洗してから六十五年、半世紀を越しましたが、主の大きな恵みに生かされている感謝は日々忘れていなくても、試練は絶えずおそってきますし、行きづまりを感じることもあります。
そんなことがあったある日、苦しい気持ちを佐藤師に打ち明けました。
先生は静かに語ってくださいました。
「天国から目を離さないでいなさい。十字架上のイエス・キリストから目を離さないでいなさい」
たったそれだけでしたが、一切を主に委ねるように祈ってくださった時、私の心に平安がもどりました。大祭司なるいつも生きておられる主のとりなし(ヘブル七・25)を信じることができました。私も牧者も試練や苦しみに囲まれる日に、天を仰ぎ、天の窓が開いている喜びに賛美しました。
十字架上のイエス・キリストから目を離さないでいたいと心から願っています。ハレルヤ!
ヨナ書を読んでいると 山本披露武
聖書箇所 旧約聖書ヨナ書 ヨナ
中心聖句 さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。(一章2節)
ヨナに下された神様の命令である。しかしヨナは尻に帆を掛け、すたこらさっさと逃げていく。
神様がいわれるように、「あと四十日でこの街は滅びる」などといってまわればニネベの人たちは粗布をまとい、断食をして神様に助けを求めるだろう。そして心やさしい神様のことだ、私にいったことなど忘れてその人たちをお赦しになるにちがいない。が、それでは私が困るのだ。大ほら吹きだのいんちき野郎だのといって責められ大恥をかくだけである。と、ヨナはいうのである。
そうはいっても命令を下されたのは神様である。その命令を、預言者ともあろう者が無視をするというのだから面白い。ヨナ書を読んでいると信仰を持つ以前の自分自身を見ているように思えてくるのだ。
私が初めて教会の門をくぐったのは五十年ほど前のことだった。映画でも見ようと思って神戸に行き、新開地にある教会の前を歩いていたら若い女の人たちが歌を歌っていた。きれいな歌だ。そう思って聞いているとその歌が終わり、ミス神戸でも敵わないと思えるほどの美しい人が話を始めたのだ。「ごいっしょにお話し合いをしましょう。どうぞ会堂にお入りください」というのである。
あのようなきれいな人と話ができるのか。それなら映画など見なくてもよい。そう思って鼻の下を長くして入っていくと、なんとなんと、無精ひげをはやした神学生が現れ、「愛について話し合いをしましょう」というのだ。がっかりしてしまった。どうしてこんな無精ひげと話し合いをしなければいけないのだ。そう思うと腹が立ってきて、「なに、愛について? それでは君が恋愛のテクニックでも教えてくれるというのかい」とからかうようにして言ってやったら無精ひげ、目を白黒させながら、「いえいえ。あのですねえ、ぼくが話し合いましょうと言いましたのはですねえ、実はあのそのイエス様のアガペの愛のですねえ…」と、わけの分からないことばかり言うのだ。
私はいよいよ腹を立て、「やめとき、やめとき。ぼくはキリストの恋愛話なんかに興味はないんや。それに今日は忙しいのや。そやからもう帰るわ」と言って帰ろうとした。すると無精ひげが慌てて、「ちょっと待ってください。牧師先生をお呼びしてきますから」と言うのだ。牧師先生などに来られては大変だ。なんだかだと言いくるめられ、信者にされてしまうのが落ちである。ああ、くわばらくわばら。私は無精ひげが止めるのも聞かず会堂を飛び出した。
そして三十年、私は神様の呼びかけにずっと耳を塞いてきた。それだけではない。回心をして教会に通いはじめてからも、牧師の説教など聞いていては仕事がやりにくくて仕方がない。そういってやめてしまったことさえあったのだ。
だからかもしれない、ヨナ書を読んでいるとほっとするのだ。希望が持てるようになってくるのだ。ヨナの様に、神様から逃げることばかり考えていた人でも預言者としての務めを全うすることができたのだから、私の様な者でも信仰を守り通すことができるかもしれない。そう思うようになってくるのである。
ヨナ書によって炙り出された私 富岡 国広
旧約聖書 ヨナ書 ヨナ
中心聖句 あなたはあわれみ深い神、怒るのに遅く、恵み豊か。四章2節
聖書の中の人物一人をあげるなら、私はまずヨナをあげるだろう。ヨナは神の御旨に従わず、ニネベとは反対の方向に逃げた。それでいながらヨナには神が「怒るのにおそく、恵み豊か」であられることが知識としてあった。
ここで思い出されるのが、私自身の過去のことである。今からおよそ二十六年も前のことになる。全能の神さまの「居ますこと」を信じ、受洗した。
その喜びを父に長文の手紙で伝え、それがきっかけで父が教会に通うようになった。勢いづいた私は、色々な点で最も意気投合していた三つ年上の兄に伝道を試みた。
当時家庭をもっていた兄は、横浜市に住んでいた。私も結婚をしていて、住まいは東京。ほとんどやりとりは電話だった。
話の内容は、「いかに人と仲良く、平和に暮らせるか?」だった。兄は「気の合わない人間はどこにもいるし、そんな相手と仲良くなんかできるはずがないぞ」と言い張る。「でも、その場の空気に合わない人を受け入れることができないとすれば、平和に暮らすことはできなくなる」と私が反論する。
「気の合わない人間とは、どこまで行っても平行線で、交わることはないだろう」と、兄。
しかし「この社会を住み良い平和なものにするためには、そうした人を受け入れるキャパが必要」だと、私は執拗に言い募った。謂わば、人が集まるところ常に騒動があり、争いがあり、平和を生み出すことの何と難しいことか。
そのことを思い知らされ、己の限界を知るに至り、謙虚な気持ちになって自らを省みる。そして、ついに神の存在に気づかされる……などということはあり得ないのであって、つまり、結果的には兄を怒らせ、長い期間絶交状態が続いたのである。
この苦い経験から、当たり前のことだが、相手を理屈で説き伏せるような手法は、伝道をするうえで決して用いてはならないと知った。
あの時、私自身伝道の必要を覚えていたのは確かだが、そこでは主に全幅の信頼を置くことも、祈ることもなかった。そして、何よりも「御言葉によって十分に養われていなかった」のである。そんな私が御霊の満たしもなく、無謀にも自分の力を頼って伝道を試みようとした。
ここで再びヨナに話を戻そう。ヨナは「怒るのに遅く、恵み豊か」であられる神を知識として知っていたし、それを口で言い表してもいた。
神は、ニネベの人々の救いのためにヨナを用いようとするのだが、それに抗って「御顔を避けて」ニネベとは反対方向の船に乗って逃げようとするヨナ。しかし、ついにヨナは自分の意に反してニネベの人々の救いのために宣教を果たすことになる。
それがまた気に入らなくて、怒りにまでかられるヨナ。これは「あわれみ、寛容」に対する神への無知から引き起こされるもので、私は自分が冒した兄への伝道の失敗と重なって、ヨナの愚かさを決して一笑に付すことができないのである。
カナンの女の信仰のように 山本千晶
聖書箇所 新約聖書マタイの福音書十五章 カナンの女
中心聖句 あなたの信仰は立派です。願いどおりになるように。(28節)
今年の六月三日、洗礼記念日を迎えた私は、信仰生活九年目に入った。
八年前の五月二十七日、私は一週間後の洗礼を前にして教会の集会で家族、友人、知人を招いて信仰告白文を読み上げた。
その集まりで私は『一羽のすずめに』を賛美した。それまで捜し求めていた漠然とした神さまという存在が、今生きて、伴ってくださるイエス様であると知って、喜びに胸膨らませた。信仰を持ち始めたばかりの私にさえ目を注いでくださるイエス様を感じながら。
当時は「癒し」・「ヒーリング」という言葉が世の中に広まっていた。
「こうすれば幸せでいられます。健康でいられます」。書店で目にする本のタイトルに、「もしそう出来なかったらどうなるの」、「どんな時にも幸せでいられる方法はないの」と、小さな不安が私の頭の片隅によぎっていた。
結婚して、出産、子育てをしながら、家族の健康と幸せを願う日々。二人の子供が学校に通うようになって私は、ご近所の子供たちにピアノを教え始め、音楽教室でコーラスの指導も始めた。音楽の楽しさを伝えられる時間が与えられて自分なりに幸せな気持ちになっていた。
娘が高校生活を始め息子も春には中学生になるという夏のある日、私は現在通い続けている教会の牧師先生に出会った。教会の信徒である友人からの紹介だった。その時はまだ教会に通うという気持ちはなかった。
しかし、先生のお話を伺いながら、イエス様のことをもっと知りたいとの思いが強まっている自分に気がついていた。この出会いをこのままにしてはいけないような気がしていた。もしかしたらイエス様のことを知ることによって、ずっと抱えている小さな不安がなくなるのでは、という予感がした。それほど、先生のお話は穏やかで確信に満ちていた。
それからは教会に通い、聖書を学び礼拝を受け始め、翌年の五月に信仰を持ちたい決意が与えられ、信仰告白式、バプテスマ式に導かれた。私は瞬く間にクリスチャンになっていた。
聖書に記されている癒しのほんとうの意味やイエス様からいただく愛の深さ広さはまだまだ知り始めたばかりの私である。こんな私を、イエス様は音楽という賜物を通して賛美を捧げる道に導いてくださった。
マタイとマルコの福音書に登場するカナンの女は、お弟子たちからは「追い払ってください」と言われながらも叫びながらついていった。そのカナンの女の姿が、信仰の弱い者だと知りながらもついていきたい私と重なってくるのだ。カナンの女のように、抱えている不安を平安にしてもらいたいとイエス様の後ろをどこまでも追いかけて行きたい。
もっともっとイエス様を知りたいという思いが、礼拝を受けるたびに喜びに繋がっていく。イエス様の前にひれ伏し、躓き転びながら、信仰の弱さを打ち明けつつ歩めるこの喜び。
イエス様が語られるカナンの女の信仰にたいする優しい励ましの一言を、私にむかっての一言と握り締めている。
神の国を待ち望んだアリマタヤのヨセフ 澤谷 由美子
聖書箇所 新約聖書マルコによる福音書 アリマタヤのヨセフ
中心聖句 この人も神の国を待ち望んでいたのである。(十五章43節)
親友の死のときが近づいている。昨年九月に癌が発見されたときは既に手遅れで治療の方法がなかった。闘病する彼女とほぼ毎日電話していたのだが、約二ヶ月間彼女からの連絡が絶えた。私への拒絶を感じた。ひとり神と格闘し、死と直面している彼女に私は何も出来なかった。死という壁が信仰の友との間に立ち塞がったのだ。
その彼女がホスピスに入り、私に会いたがっているとの連絡が息子さんから入った。駆けつけた私に彼女は「ごめんなさいね」と言った。そして、「由美子さんに出会えてどれほど豊かな時間を過ごせたか。ありがとう。」と微笑みながら伝えてくれた。人はこれほどまでに痩せるものかと思うほど肉が消え、顔は別人になっていた。しかし、彼女の精神は美しく、穏やかに輝いていた。それは神の国に入る備えが出来ていることを物語っていた。私たちは手を取り合って今までの真実の友情を感謝し合った。
主イエス様が十字架におかかりになって息を引き取られた後、その死体を墓に葬った人がアリマタヤのヨセフだ。彼はユダヤの最高議員の一人でイエスを十字架刑に処する決議をした仲間である。弟子たちですらイエスの死の現実に絶望し、恐れて死体を葬ることも忘れて逃げ去った。そこにこのヨセフが登場する。遺体の引き取り方を「勇気を出して」ピラトに願ったことが聖書に記されている。
いつの世も、犯罪人の遺体を引き取ることは誰も願わない。ましてや十字架刑で死んだ大犯罪人である。民衆も冷酷なものだ。あれほどイエスをもてはやしていたのに、一転捨て去るのである。これが私たち人間の姿だ。ところがヨセフはイエス様を引き取って亜麻布で巻き、自分の墓に葬った。きっと由緒ある家柄の墓なのだろう。そこに身内でもない犯罪人を葬るなどということはふつうでは到底できない。しかし、彼を突き動かした唯一つの希望は「神の国」の到来だった。彼はそれをイエス様の姿に見たのである。この方が、この世にも悲惨な死に方をしたこの方が自分を「神の国」に導く救い主に違いないと信じたのだろう。
親友も、報われない一生のように見える。何もこんなに苦しい病気を与えなくても良いだろうにと神を恨みたくもなる。しかし、「神の国」に望みを置いた人の光は朽ち果てようとする肉体を超えて輝く。
今しばらくこの地上で生かされるかもしれない私は、アリマタヤのヨセフのように彼女の死を受け止めたい。神の国を信じ抜いて自分の地上の日々を感謝で締めくくった彼女の信仰を受け継ぎたい。私も神の国を目指し、主イエスを亜麻布で巻くように、丁寧に日々の恵みを物語にして書いてゆきたい。
私の人生を変えた猟師ペテロ 長谷川乃武男
聖書箇所 新約聖書ルカの福音書 ペテロ
中心聖句 これからのち、あなたは人間をとるようになるのです。(五章10節)
私が今日あるのは、信仰生活が始まって一週間ほど経った四十二年前。主イエス様の愛弟子の一人、シモン・ペテロに聖書の中で出会ったことによります。
彼の実家は代々猟師でした。彼がイエス様に出会った頃の「猟師としての腕前」は、仲間も認めるほど、いっぱしのものでした。
そんな彼が、何時ものように数人の仲間と小舟に乗り、漁に出かけました。ところがその夜は全くの不漁で、一晩中網を下ろして試みましたが、ただの一匹も網に入りませんでした。やがて明け方になったので、彼らは網を引き揚げ岸に戻り、網の補修(破れた所を繕う)を始めました。この時のペテロの心中は、察するに余りあるという言葉がありますが、それほど落ち込んでいました。
しかしペテロは、師と仰ぐイエス様が、自分の持ち舟に乗って下さるというので、急いで支度して舟を漕ぎ出しました。彼はイエス様が言われるとおり、舟の右側に網を下ろしました。するとどうでしょう。一晩中網を下ろしても一匹も獲れなかった魚が、何と網が破れそうになるほど獲れたのです。
彼は仲間の舟に合図して助けに来てもらいました。それでも舟は二漕とも沈みそうになるほどでした。
ペテロは腰を抜かすほど驚き、思わず知らずイエス様の足元にひれ伏し、自分は全くの罪人、何の取り柄も無い人間であることを認め告白しました。この事件をはじめから一部始終を見ていた彼の仲間たちも怖じまどっていました。この様子をご覧になりイエス様は「これからのち、あなたは人間をとるようになるのです」と言われました。そしてそのとおりになったのです。(ルカ伝五章10節)
その年の十二月二十四日。教会で行われたクリスマス・イヴの席で私は、何の予告もなしに穐近先生から、「長谷川兄。兄が救われた時の証しをしなさい。」と命じられました。
会堂には見たことも会ったこともない人が大勢いるではありませんか。(こんなことを言うと信じない方もいるかもしれませんが、私は意外と臆病者です。)決心した私は、込み上げてくる興奮を抑えながら講壇に上がると、両手を上げて、開口一番『ハレルヤ!』と大きな声で叫ぶように言うと、あとは夢中で喋りまくりました。穐近先生は講壇から下りてきた私の肩に手を置き、「長谷川兄。商売替えしなさい」と一言。急のことだったので、思わず「はい」と答えました。
間もなく私たち夫婦を救いに導いて呉れた家内の祖父、勝野庄一郎兄(当時八三歳)の指導のもと「家庭集会」を開くようになり、今から三五年前、猟師ペテロのように「人をすなどる者」となり、現在も一意専心「宣教の業」に励んでおります。
わたしはヤイロの娘 槇 尚子
聖書箇所 新約聖書ルカによる福音書 ヤイロの娘
中心聖句 娘よ、起きなさい。(八章54節)
私が生まれたのは、戦争末期。戦後の物のない時代に、両親は私を育てた。家を戦災で焼かれて、家族がそろって住むようになったのは目黒の古いアパートだった。
栄養が足りない時代だったので、私はよく病気をした。三歳のころ、体力がなくなった私は病院通いを繰り返し、開業医の伯父のところに駆け付けたころは、もう骨と皮ばかりだったとか。食物を受け付けなくなった体はどんなに貧相だったろう。
父は高等学校の教師をしながら伝道者になることを目ざして準備していた。衛生的とは言えない環境とつつましい食糧事情の中で、伯父はこの薬がきかなかったらもう駄目だろうと言った。両親が頼みとするところは神様だけだった。
そこへ、ヤイロという人が来た。娘は死にかかっていた。この期に及んで親に何ができただろう。もう人の手厚い看護は尽くした。どんな努力もした。しかし娘はどんどん悪くなり、どうすることもできなくなっていた。このとき彼の中にあったのはイエス様だけだった。イエス様が最後の砦だった。かれは選択肢の一つとしてイエス様のところに駆け付けたのではなかろう。それしかなかったのである。そしてイエス様の足もとにひれ伏した。
にもかかわらず、娘は死んでしまった。ヤイロの家がどんな悲しみになりそして騒ぎになっているかは想像できる。しかしイエス様の言動は理解しがたいものだった。ただ眠っているだけだとし、娘の手を取って起こしたのである。本当にそのとおりだった。死んでいるものが再び生きるものとされた。
ヤイロの娘はイエス様からお言葉をいただいた。
「娘よ、起きなさい」
イエス様に手を取られて、娘は生きる者となった。すぐに食べ物を与えよとは生が現実だからである。無から有を呼び起こすイエス様。
伯父から渡された最後の薬を三歳の娘に飲ませた両親は聖書のこの個所を読んで徹夜で祈ったという。幼い娘を「ヤイロの娘」にしてくださいと。そして不思議なことに私は快復してくるのである。まるで「ヤイロの娘」のように。
大きくなった私はこの話を何回も聞かされた。
「神様はご用があるから病気を治してくださった」
あの時神様が助けてくださったのは、私に何かご計画があるからというのである。神様は一人一人に何かご計画を持っていらっしゃるということは、その後の私の人生に深くかかわる言葉となった。
その後、何十年の人生で、たくさんの出来事にあった。そのたびごとに私に語りかけてくるのは「起きなさい。私には計画があるから」の言葉である。
放蕩息子の父 山下 邦雄
聖書箇所 新約聖書ルカによる福音書 放蕩息子の父
中心聖句 このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つ
かったのだから。(十五章24節)
一九六〇年代の数年、私は「シュバイツァー友の会」に在籍していた。会は年に数回開かれ、シュバイツァー博士を尊敬する若い男女七~八名が、会長の北村徳太郎先生を囲んで語り合う楽しい会であった。
ある時、シュバイツァー博士とともにアフリカの現地で医療伝道に従事した野村実氏の話を伺う機会があった。博士の歩みや日常生活の話が中心だった。
会食後皆との語らいの中で、「失われた羊」や「放蕩息子」等、イエス様のたとえ話に話がはずんだ。が、当時の私は聖書については不案内で、あまり深く考えることはできなかった。それでもイエス様のたとえ話のことは私の頭からずっと消えることはなかった。
逡巡の後、私が川越の霞ヶ関キリスト教会を訪ねたのは一九九二年五月のことだった。「友の会」でイエス様のたとえ話を聞いてから三十年もの歳月が過ぎ、私も還暦近くになっていた。
初めて開く聖書、賛美歌の合唱、池田牧師の説教…。夢のような心地であった。いま、キリスト者に加えていただいていることの幸せを思う。
放蕩息子が本心に立ち返り、父に詫びたとき、父は非難めいたことを一切いわず大いに喜んだ。死んでいたのが生き返ったといってこえた牛をほふり、放蕩息子のために祝宴を催した。
神様を離れた人間が罪に気づいて神様のもとに立ち返るとき神様はゆるし、何よりもよろこばれる―神様の愛について、イエス様はたとえ話で罪のゆるしと神様の恵みを私たちに教えている。父のよろこびを理解できなかった兄の姿も私たちの影をうつしているように私には思われる。
私は人間関係や些細なことなどで不満を抱いたときなどには、いつもこの「父の愛の物語」とともに、私の父を想起する。
父が亡くなって今年で三十年になる。家庭での父の存在感というものはたいへん大きく、威厳があった。父は人間としての素朴な誠実さを持ち、人には善意を以って応対し、そのため皆から好かれた。私が受験に失敗したり愚かなエラーをしたときも、父は何も言わず静かに私を見守ってくれた。
大正末から昭和にかけて、五人の子供を育て、苦しい家計をやりくりして皆を上の学校に学ばせてくれた。そして信仰深く働き者であった母とともに、私たちをそっと見守ってくれていた。
私は昨年新老人の仲間入りをした。私の人生を考えるといかに神様の庇護と導きがあったかを思わずにはいられない。
『後世の最大遺物』の中で内村鑑三は、英国の天文学者ハーシェルが友人と誓った言葉、「この世界を自分達が生まれた時よりよきものにして残そう」を紹介している。これは人間の本分だと思う。神様への帰依・信仰を深め、身近なところで人間の本分に向って歩んで行きたいと念じている。
私を変えた聖書のみ言葉 林 文彦
聖書箇所 新約聖書 ヨハネの福音書
中心聖句 神は、実にそのひとり子をお与えになったほどにこの世を愛された。それは御子を信ずる者がひとりとして滅びることなく永遠の命を持つためである。(三章16節)
私は一九三三年に諏訪の地に生まれ、幸い両親がクリスチャンでしたので、子供の頃より今日まで聖書は常に私の歩む道を導いてくれました。
子供の時に『あなたの若い日に、あなたの創造主を覚えよ』(伝道者の書十二章1節)とまず学びました。
終戦後三年ぐらい東京の地で牧師先生の家にお世話になりました。私が髪を長くしようとしたら牧師夫人に、少年は少年らしくと言われ、聖書を読むことの大切さを学びました。
ヨハネの福音書三章十六節『神は、実にそのひとり子をお与えになったほどにこの世を愛された。それは御子を信ずる者がひとりとして滅びることなく永遠の命を持つためである』このみ言葉により、一九四九年九月十一日、下諏訪町の砥川で全身洗礼を受けました。十六歳でした。
少年時代牧師の家にいたので、牧師の仕事がすばらしいと思っていましたが、五人兄弟の四人までが大学を出たら外に出てしまったので、家業の海苔卸問屋を継ぐために、止む無く家に戻りました。浜での海苔の仕入れから学び、今日に至りました。
今になって思うことは、私が神を選んだのではなく、神様が私を選んでくださったことです。しみじみ感謝しています。
日本国際ギデオン協会諏訪支部発会に際し、その会員となり、まだ聖書を知らない人々のために聖書を配布することとなり、大学、高校、病院などに配布を続けて参りました。ほんとうにに尊いご奉仕をすることができ感謝です。
ルカの福音書十章二27節に『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。
このみ言葉を信じ行えば、平和な世界が来ると信じます。
いのちとの出会い 松下勝章
聖書箇所 新約聖書ヨハネの福音書 イエスとサマリヤの女
中心聖句 わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。あなたと話をしているこのわたしである。(四章26節)
その町には、教会が無かった。もしかしたら、どこかにあったのかも知れない。でも、記憶には残っていない。その代り、ストリップ小屋があった。それと遊郭、パチンコ屋、神社、銭湯、鉄工所……。
大阪の下町、「九条」は、大阪港の近くにある庶民的な町で、『地下鉄』と呼ばれる電車が空中を走っていた。駅を挟んで、町は一丁目と二丁目に分かれ、一丁目は大阪最大の遊郭街(松島遊郭)、二丁目は鉄工所が点在する。町の背骨ともいえる商店街が一丁目と二丁目を貫き、背骨の中には、喫茶店・肉屋・蒲団屋・酒屋……が並ぶ。
僕の幼馴染や学友は、その商店街と遊郭から出てきた。クラスの中に遊郭の子女で、美人・聡明・俊足の女の子がいて、学級委員にも選ばれ、僕は、とても好きになった。その女の子の大きな自宅に誘われ、そこでクリスマスパーティーをやった記憶がある。賛美歌も歌わず、もちろんお祈りもない。
ケーキを食べてはしゃぐ、そしてプレゼント交換をする、そんな会だった。何を思ったのか、僕は、レコードを持っていった。五百円という約束にピッタリだったことと、ハイカラ好きな姉が、“いい曲だ”と言ったから、女の子の手前、ちょっと、いい格好をしたかったのだろう、中島みゆきの「時代」という曲だった。でも小学生だったからか、残念ながら誰も欲しがらなかった。今から思えば、これは神様から僕へのプレゼントだったのかもしれない。
いろいろな事件が起こり、時が流れて、僕は、その町を離れることになった。次に行った町には喧嘩が強そうな生徒が多く、委縮した僕は、自宅で受験知識を詰め込むガリ勉になった。
また、いろいろな事件が起こり、時が流れて、僕は、その町からも離れることになった。今から思えば馬鹿な話だが、引っ越しの作業で、一番大切にされた家財道具は、仏壇だった。「仏壇を粗末にするような家は栄えない」そう諭されていた。家系の出自は、どうやら、島根県の温泉津にある浄土真宗のお寺らしい。だから、仏壇は我が家の神殿だった。けれど、持ち運ばれるうちに、その神殿は、不思議と威厳を失っていった。
高校三年生の冬、父が突然他界した。絵にかいたような急死だった。バタンと倒れてそのまま別の世界へ行ってしまった。陽気な父だったが、その一生はちょっと悲運だった。家庭がオロオロし、僕も、しばらく、悶々とした。繁栄を与えるはずの「仏壇」と人間はふっと死ぬのだという「事実」が家の中に残った。 父の法事に寺の坊さんがやって来た。「人は死んだらどうなるのですか」答えがなかった。卒業文集の中に、「イエスの復活」を語っている女の子の文章を見つけた。受験知識では知っていた言葉、「復活」。まさかと思った。でも気になって気になってしかたがなかった。学校の前に教団の教会があった。今まで何度も前を通っていたのにほとんど気付かなかった。敷居を跨いだ。「復活って本当ですか。」「本当です」牧師からポカンと応えが返ってきた。
いろいろな事件が起こり、時が流れて、我が家から仏壇が消えた。
マグダレーナ 駒田 隆
聖書箇所 新約聖書ヨハネによる福音書 マグダラのマリア
中心聖句 イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。(マルコ十六章9節)
マリアという名の女性は、新約聖書には六人おります。イエスの母マリア、マグダラのマリア、マルタの妹マリア、ヤコブとヨセフの母マリア(クロパの母マリアでもある)、ヨハネ・マルコの母マリア、ローマのキリスト者マリアです。このマリアの中でも、マグダラのマリア(マグダレーナ)は、聖書の中では常にイエスに従っていた婦人集団のトップに名を記しています。それだけ、彼女は婦人集団のリーダー的存在であった、と言えましょう。しかも、四福音書に共通しているということは、伝承における彼女の普遍的存在を示しています。しかし、ローマ・カトリックを中心とする西方教会では、姦淫の女、サマリヤの女、罪の女をすべて彼女とするグレゴリウス教皇(六世紀)の見解が出されてから、彼女は一段低く見られるようになりました。この見解には、何の聖書的根拠がなく、後世に入ると否認されたのですが、その考え方は今日にいたるまで引きずられています。
『ヨーロッパの教会の歴史においてマリア・マグダレーナに対してなされたことは、ユダとユダヤ人を同一視したキリスト教徒の宿命的な過ちに匹敵する』
(『イエスをめぐる女性たち』一○八ページ*E・モルトマン、ヴェンデル著/大島かおり訳・新教出版社・一九八二年)、とまで言い切っている研究者もおります。
聖書を読むと、マルコ福音書の長い結びの部分では、イエスの復活の最初の証人は、マグダレーナに帰せられているのです。パウロは、ペテロの名を挙げていますが、マルコの伝承は彼女としているのです。男性優位の強かった時代にもかかわらず、それだけ彼女は、イエスの福音の証し人としてふさわしい人と見られていたのではないでしょうか。ヨハネ福音書になると、彼女はただ一人の第一の証人となりました。ユダヤ教社会にあって、ラビの教えすら直接聞けない女性が、イエスの復活の証人となったのです。わたしはここに、わたしは罪人を招くために来た、と言われたイエスの愛を知ることができるのです。マグダレーナは、その従順な信仰のゆえに、イエスの身近な存在とされ、それゆえにペテロなど男性の嫉妬をかったようですが(『トマスによる福音書』二八六ページ*新井献著*講談社学術文庫・一九九四年)、イエスは、その訴えを退け、彼女の信仰をよしとされました。
信仰には、男女の差別はありません。女性だからといって、福音を語れないことはないのです。わたしは、このマグダレーナの存在を知った時に、キリスト教の普遍性を知りました。イエスの福音は、何人にも開かれています。性別はもちろん、人種も、年齢、知識、職業も関係ないのです。あるのは、イエスの福音の源である人を愛することなのです。その対象は、当時、地の民と言われ、蔑まれている人々をも含んでいたのです。イエスの福音は、すべての人に開放されています。もちろん、論語読みの論語知らずではキリスト教徒にはふさわしくありません。マグダレーナのごとく、日常生活において、イエスの福音に従ってこそ、キリスト者と言えるのではないでしょうか。
パウロのように 土筆文香(島田裕子)
聖書箇所 新約聖書コリント人への手紙 パウロ
中心聖句 わたしの恵みは、あなたに十分である。(Ⅱコリント・十二章9節)
パウロがダマスコの近くで主と出会った体験は、何度読んでも心を揺さぶられます。パウロの改心は衝撃的です。キリスト者を迫害していた人がキリストを伝える大伝道者になったわけですから、まさに百八十度の転換です。
これほどドラマチックではありませんが、わたしにも何度か大転換が起きました。パウロ的体験です。
一回目の《パウロ的体験》は二十二歳のときです。夢と希望を抱いて幼稚園に就職したのですが、そこは思い描いていたような保育の場ではありませんでした。自分の無力さを実感し、いいようもないむなしさに襲われていました。
そんなとき、ふと手にした本が三浦綾子の『明後日の風』でした。文章に惹かれて同じ作者の『積み木の箱』を読み、目からうろこが落ちました。
教師である主人公の悠二が罪に気づく場面を読んで、わたしは間違っていたと思ったのです。いままで、母親や友達とよく議論をしましたが、口で負かされても、いつも自分は正しいと思っていました。また、不都合なことがあるとすべて人のせいにし、人を裁いていました。そのことが罪なのだと気づかされ、この罪をこのままにしておけないと思い、教会へ通うようになったのです。
わたしは重い小児喘息で、三歳のころからよく発作を起こしていました。高校生の時、漢方薬で一時的に治ったのですが、結婚して出産後再び喘息の発作が起こるようになりました。
そのときすでにクリスチャンでしたが「神様、なぜわたしをまた喘息にしたのですか。何が何でも喘息を治して下さい。喘息の発作が起きたら、奉仕もできませんし、神様をほめたたえることなんてできませんから」と祈っていました。喘息にした神様に対する怒りのこもった祈りでした。
パウロは『肉体に一つのとげを与えられ』と書いています。とげを去らせて下さいと三度も祈ったのに『わたしの恵みは、あなたに十分である。わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』と主が言われたというのです。
わたしは「喘息を治して下さい」と三度どころか三百回ぐらい祈っていたのですが、この箇所を読んだとき、はっとしました。
パウロのとげは片頭痛だったか眼病だったかわかりませんが、かなり辛かったのだと思います。それでもパウロは主からそう言われて病を受け入れました。
パウロのようにとげが与えられたのは《何故》ではなく、《何のために》と考える者になりたい。『高ぶることのないように……』と書けるほどの信仰を持ちたいと思い、祈りはじめました。すると、喘息を少しずつ受け入れられるようになってきました。完全に受け入れたとき、不思議に重い発作は起こらなくなっていました。これが《パウロ的体験》の二回目です。
その後、神様は喘息より大変な乳癌というとげを与えて下さいましたが、乳癌は受け入れるまでにそれほど時間がかかりませんでした。
『わたしの恵みは、あなたに十分である』というパウロの書いた神様のみ言葉がわたしの中に根付いていたからかもしれません。